KEYTALK・Benthamチーフマネージャー/有限会社マーガレット・ミュージック取締役社長/KOGA RECORDSオーナー 古閑裕 インタビュー

KEYTALK・Benthamチーフマネージャー/有限会社マーガレット・ミュージック取締役社長/KOGA RECORDSオーナー 古閑裕 インタビュー

古閑裕 (読み方 : こが ゆたか)
古閑裕 個人Twitter : https://twitter.com/rocketkoga
KOGA RECORDS HP : http://www.koga-records.net/
KOGA RECORDS Twitter : https://twitter.com/kogarecords
KOGA RECORDS LINE@ : http://line.naver.jp/ti/p/%40koga-records
KOGA RECORDS YouTube : https://www.youtube.com/user/KOGARECORDS

音楽を中心に、様々なカルチャーが渦巻く町、下北沢。この地に根ざして早2〜30年は経ったであろうか、KOGA RECORDSは数々の名アーティストを輩出してきた。レーベルオーナーである古閑氏率いるROCKET Kは勿論の事、KEYTALK、Bentham、SpecialThanks、そこに鳴る、number girl等々……日本のロックシーンを語る上で今も昔も目が離せないバンド達ばかりだ。

今回、有限会社マーガレットミュージック取締役社長/KOGA RECORDSオーナーの古閑氏に対し、彼の生い立ちから音楽的ルーツ、KOGA RECORDSの成り立ちや各バンドとの出会いのきっかけ、音楽観等を伺うべく、堂々の1万字超えインタビューを実施した。

取材・文・編集 / 宮久保 仁貴


 

-TOPPA!!初登場という事で、改めまして古閑様の自己紹介をお願い致します。

 

古閑 : 昭和40年に熊本に生まれて、ごく普通の家庭に育ったんですよ。ただ、一つ付け加えるなら家系が音楽の先生で、潜在的に音楽の血が流れているような家系でしたね。

音楽を意識して聴き始めたのは、小学校高学年の時に、近くに住んでた同級生の洋楽好きの友達に教えてもらってからですね。例えば、QUEENの様な『MUSIC LIFE』や『ロック・ショウ』に載っているような……当時はアイドル扱いされていたバンドが好きでしたね。また、当時はレコード屋でレコードコンサートと言って、新譜を流すイベントがあったんですよ。そこで行われたプレゼント企画でCHEAP TRICKの『蒼ざめたハイウェイ(※原題 : In Color)』が当たりまして。そればっかり聴いていた事を覚えていますね。

 

ライブを見始めたのはいつの出来事になりますか?

 

古閑 : その後、1978年に福岡の九電記念体育館にCHEAP TRICKがライブをしにやって来たんですよ。絶対見に行きたくてチケットは取ったんですけどけど、年齢が若すぎたので、おじいちゃんに付き添いで行ってもらいました。その日が、生でロックを観て聴いた初めての日でしたね。そこから洋楽にハマりまくって、ちょうど熊本で毎週土曜日の6時に洋楽のMVを流していた『サタデー・ミュージック・スペシャル』というローカル番組がありまして。そこで、今も熊本で現役でDJをなさっている”かなぶんや”さんがTHE CLASHとかTHE DAMNED等を流されていまして、そこからの影響でその年代のパンクも聴いていました。

あとは同時期にラジオも聴いていまして。大貫憲章さんが『若いこだま』『ヤングジョッキー』というNHKのラジオ番組でDJをやられていて、毎週のように新しい音源を紹介されてて、毎回チェックするのが僕の日課でしたね。

あと、東京でやっていた番組で、「全英TOP 20」で大貫さんがパーソナリティを務められていて、イギリスの音楽をいっぱい流していらっしゃったんですよ。今思えば、この番組が僕の音楽的ルーツの源流かもしれません。

その流れもありつつも、ただ僕は九州在住でもあったので、同時にめんたいロックの流れにも乗っかりまして。たまに熊本にもめんたい系のバンドがライブで来てくれるんですよ。初めて観たザ・ルースターズが確か1stアルバムを出したぐらいの時だったかな……当時はお客さんが5人くらいだったのを覚えています。

 

それは意外ですね!

 

古閑 : 今やめんたいロックのレジェンドですけど、当時はまだブレイク前で。その頃のザ・ルースターズはかなり激しいパブロック〜パンク寄りのサウンドだったんですけど、衝撃を受けましたね。シーナ&ザ・ロケッツは元より、ザ・ロッカーズ、THE MODS、を観に行ってたりして、中学時代はライブ三昧でしたね。そして、仲よくしていただいていた先輩の家にはパンクのレコードがほんとにいっぱいあって、例えばデッド・ケネディーズとか、SEX PISTOLS以外のいろんなパンクバンドのレコードを聴かせてもらってました。

 

高校時代はどのような学生生活を過ごされたのでしょうか?

 

古閑 : 高校ではパンク〜ニューウェイブ好きの友達とつるんでいましたね。類は友を呼ぶと言いますか。その時、友達から「これ、先鋭的なんだぜ!」とオススメしてもらったのが、PiL(PUBLIC IMAGE LTD)で。それを聴きつつ、東京ロッカーズ〜フリクションだったり、LIZARDを聴いていました。新宿LOFTというキーワードが出てくる度に、僕の頭の中で「いつかここに行ってみたい!」といった夢が膨らんで来たのを覚えています。イギリスの音楽の流れで、レーベル4ADからリリースされていたBAUHAUSやCOCTEAU TWINSやBirthday Partyなどなど……いわゆるポジパン、ネオサイケ、ゴシックの洋楽取り扱っていた頃の『FOOL’S MATE』もよく読んでいました。

そんな訳で、イギリスと東京への憧れがすごくあって、高校卒業後一年間福岡で浪人して、東京の大学に入りました。とはいえ、浪人中は福岡でめんたいロックのバンド達を観ていたりはしたんですけど。今僕は52歳なので、もう30年以上前の出来事になりますね(笑)。上京後は東京のライブハウス、それこそ新宿LOFTや今は無き渋谷LIVE INNでFOOL’S MATE系のアーティストをよく観に行ってました。あと、La.mamaにもよく行ってて、当時のオリジナルラブとか、その後のフリッパーズ・ギターとなるロリポップ・ソニックとか。僕自身カッコいいバンドを観たら、すぐに「知り合いになりたい!」と思う人間でして、終演後に「僕は〜ファンなんです!レコード持ってます。サインしてください」と言っては近寄っていってました。そこから色んなバンドの人と知り合いになりました。

そして、引き続き洋楽も聴いていたので、大学1,2年の時にイギリスの『NME』を青山ブックセンターで買って読んでたんです。THE SMITHとか、THE STONE ROSESとか、当時のマンチェスターのシーンが出て来て、「あ、こういう音楽あるんだな!」と影響を受けつつも、その頃から、さらにポップな音楽にも目覚めてきたんですよね。

 

ちなみに、バンド活動はどのタイミングから始められたのでしょうか?

 

古閑 : そして、イギリスへの憧れから、お金を貯めて、一度現地に行ってみたんですよ。当時は向こうに行くのに30-40万かかっちゃう様な時代で、親にも援助してもらいましたね。現地では色んなライブを観て、ときめいて……それで僕の人生の方向性が決まった感じはありましたね。その後、日本に帰って来て、自分もバンドを組もうと思い、バンド活動をスタートしました。

最初やっていたバンドはCOCTEAU TWINSや耽美派、シューゲイザーに影響を受けた女の子ボーカルのバンドでして。そんな時、渋谷の屋根裏が下北沢に移って来たんですよ。そこで、いろんな人と知り合いましたね。DIP THE FLAG(※現dip)のヤマジ(Vo/Gt)くんとか、アルルカンの本橋(Vo/Key)くんとか。

その後、バンドをやめて、大学卒業後2年半くらいサラリーマンをやっていたんですよ。ただ、就職したけど、やっぱバンドを諦めきれず、大学時代に知り合いだったペニーアーケードの石田真人(Gt)くんとその後ヴィーナス・ペーターを結成しました。当時僕自身は転勤で大阪に住んでて、「もしバンド組めたら、東京戻ってくるよ!」と電話していまして。なんやかんやで大阪から東京戻って来て……それがヴィーナス・ペーターの始まりでしたね。

当時はフリッパーズギターやブリッジと仲良くさせて頂いていて、そういった関係で、Creation RecordsのVELVET CRUSHのフロントアクトをさせていただきました。当時、ヴィーナス・ペーターみたいなマンチェスターっぽいと言うか、ダンサンブルなギターサウンドは珍しく、かなり洋楽っぽかったのか一躍話題になりました。そこで、一緒にやろうと声を掛けてくれたのがUK PROJECTの与田さんでした。

 

順調にバンド活動が進まれたのですね!

 

古閑 : ただ、そういう音楽を聴きつつも、BEYONDS〜Hi-STANDARD辺りの下北沢のライブハウス界隈で遊んでて、音楽好きの仲の良い人たちがどんどん増えていきました。あと、学生時代に引き続き、DOLLやFOOL’S MATEも読みつつ……当時メタルとかハードコアの線引きが良い意味で曖昧な時代で、Howling BullからEAT magazineがリリースされてたんですよ。

 

小杉さん率いるHowling Bullの登場ですね!

 

古閑 : そうなんです。思えばその時から、メタルやハードコア、それに近いような音も改めて聞くようになりました。実は、小杉さんと通ってきた道は違うんですけど、同じ大学の同級生なんですよ。後日、ふとした機会で会ってみたらお互いに諸々共通点があり、そこからたまに一緒に飲んだりと、仲良くさせて頂いてます。

音楽に関しては……ざっくり言えば大学卒業してから、ポップな音楽もロックもメタルも……あらかた聴きすぎて今に至ります。今はもしかすると、ロックというジャンルに関しては、メタルの方が好き度の比重が高いかもしれません。ちなみに、MASTODONは来日公演毎回見に行ってます。

 

先日サマーソニックで来日していましたよね!それでは、その後古閑様はKOGA RECORDSを立ち上げられますね。こちらのきっかけを教えて頂けますでしょうか。

 

古閑 : 元々ヴィーナス・ペーターとしてUK PROJECTに所属していたんですが、海外のインディレーベルだと、イギリスのCreation Recordsとか、アメリカだとSub Pop Recordsのようなレーベルに憧れていたんですよ。それで、元々自分でもレーベルをやってみたいと思っていたんです。

ある時期、ヴィーナス・ペーターのバンド内がぎくしゃくして、解散するかしないかという話が持ち上がっていたんです。ただ、自分も会社も辞めてバンドに専念していた時だったので、「音楽で何かしらやりたい……!」と思い、レーベルを立ち上げる事を更に意識しましたね。UK PROJECTからの報酬はあったんですが、お酒好きなんでもっと飲み代が欲しかったんです。当時、バンドマンとして活動する傍ら、アルファレコードというレコード会社でバイトもしていたんです。そこで、業者さんとのやりとりはこうで、印刷屋さんがこうやって来てとか、いろんなノウハウを学び、いろんな点が見えてきたんです。そして、「実際、僕でもレーベルが出来るな!」と勘違いし、ヴィーナス・ペーター解散後、レーベル業務がスタートしました。立ち上げ当時は、2年くらいは元所属事務所UK PROJECTと絶縁していたんですよ。勿論今は仲が良いんですが(笑)。私の半分逆恨み、逆ギレみたいなもんでして、今思えばあの時は若かった。今となっては、当時のUKの社長がやってたことと同じことを自分がレーベルでやっていて、結果、(あの時は若かった)アーティストたちとの付き合い方、諸々の流れもわかるので、凄く感謝しています。

 

ありがとうございます。それでは、現在マーガレットミュージック/KOGA RECORDS代表として、数多くのアーティストを手がけられていらっしゃる古閑様ですが、アーティストと契約する上で心がけている事を教えて下さい。

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