原田ちあき インタビュー

原田ちあき インタビュー

原田ちあき
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原田ちあきは1990年生まれの大阪在住のイラストレーター、漫画家、キュレーター。自身を「よいこのための悪口メーカー」と称し、一つのキャンバスの中に、ヴィヴィッドな色使いで描かれた女性像・後ろめたい心情を表す強烈な文言を内包するスタイルで活動している。彼女の絵を見て、衝撃を受ける人もいれば、はたまた感動する人もいるだろうし、そして勇気をもらう人もいるであろう。

これまでにWEB・SNS・リアル問わず幅広く活動している彼女だが、音楽アーティスト・イベントとのコラボ作品も非常に多い。でんぱ組.inc、クリープハイプ、sukekiyo、大森靖子、ゲスの極み乙女。、Su凸ko D凹koi、鬱フェス(アーバンギャルド)、RAB(リアルアキバボーイズ)、へきトラハウス、りんご音楽祭2017、ウルフルズ等々……数々のツワモノ達と共同作業を行なってきた彼女もまた、現代に生きるツワモノの一人なのだ。これらのアートワークを見て、原田女史の事を知ったユーザーも多いのではないだろうか。

大阪在住の原田女史に対し、略歴から絵を描き始めたきっかけ、作品を制作する際の心構え等を、メールインタビューにて語ってもらった。

文 / 原田ちあき 編集 / 宮久保仁貴


 

まずはTOPPA!!初登場です原田様自己紹介をお願い致します

 

原田ちあき : 原田ちあきと申します。生業はイラストレーター、漫画家をしています。

 

いつから絵を描かれていたのでしょうか?

 

原田ちあき : 絵を描くのは小さいころから好きだったんですよ。

 

当時はどのような題材を書かれていたのでしょうか?

 

原田ちあき : 幼稚園の頃はセーラームーンのイラストを描くことが多かったです。小学校に上がるとたまごっちのイラストばかり描いていた記憶があります。

そして、中学に上がったんですけど、そこで出会った美術教師がとてもいい人で、「美術の専門高校に進みなさい!」と私は言われていたんですが……当初は制服の可愛い商業高校に進むつもりでいました。ただ、中学3年生の進路決めの時期に、その美術の先生が病気で急逝してしまって。その時色々考えて、「先生も言っていたし……やっぱり美術高校に進もう!」と思い、受験、合格しました。

 

ある種の運命を感じますね。高校の生活は如何でしたか?

 

原田ちあき : それまで、俗にいうクラスで1~2番目に絵がうまい人間だったのですが……クラスの皆が私より絵がうまい子ばかりで自信を無くしちゃって。そこからすっかり絵を描かなくなり、入部した演劇部の活動に没頭しました。

その後、高校3年の受験の時期になり、適当に大学に入ろうと思った矢先に家が自己破産してしまったんですよ……。家族が解散したので「好きな事をしよう!」と思い、お笑い芸人を目指して養成所に入りました。

 

紆余曲折があったんですね。

 

原田ちあき : そうなんです。そして20歳の頃、美術大学に進学した友達から突然「グループ展をやらない?」と連絡を受けたんです。それがきっかけで、何となく絵本を一冊描いたのですが……これがやっぱり楽しくて!「絵を描こう!」と思い、劇団を辞めてイラストを描き始めました。当時、バンドをしている友人が周りに多く、フライヤーのデザインなどを引き受けていきまして。そんなこんなを経て、今の様にイラストの仕事を頂けるようになりました。

 

 

ありがとうございます。原田様は近年はイラストから漫画からグッズデザインまで……非常に多岐に渡る活動をされていらっしゃいますねいずれもが一目見て、「原田ちあきと感じさせるオーラを感じますまずはルーツから教えて頂けますでしょ

 

原田ちあき : 楳図かずお先生と荒木飛呂彦先生、あとは吉田戦車先生の影響が大きいです。奇妙なものが好きなので、学生時代は絵画だとサルバドールダリ、音楽だと”たま”をよく聴いていました。

 

作品に泣き顔女性が出てきて名言を発する作品が多いですが何故この作画スタイルを取られるに至ったでしょ

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