株式会社トライバルメディアハウス「Modern Age」レーベルヘッド 高野修平 インタビュー

株式会社トライバルメディアハウス「Modern Age」レーベルヘッド 高野修平 インタビュー

株式会社トライバルメディアハウス所属 / マーケティングレーベル「Modern Age/モダンエイジ」レーベルヘッド 高野修平(たかのしゅうへい)
Twitter : https://twitter.com/groundcolor
Modern Age HP : https://modernage.tribalmedia.co.jp/
高野氏個人ブログ「THE GREAT ESCAPE」 : http://takanoshuhei.com/

株式会社トライバルメディアハウス
HP : https://www.tribalmedia.co.jp/
Twitter : https://twitter.com/tribal_news

「ブランディング」という言葉が叫ばれて久しい現在。情報過多の現代において、適切なメッセージを人々に届けるベストな手法とは一体何なのだろうか。どの様にターゲティングを設定し、どの様な媒体・クリエイティブを使えば人々の心に刺さるのか、常々、ブランド側もPR・広告業界側のマーケターも腐心しているはず。

今回ご紹介する株式会社トライバルメディアハウス(以下、トライバル)のマーケティングレーベル「Modern Age/モダンエイジ」(以下、Modern Age)は、「人生を変える一瞬をデザインする」をミッションに掲げた国内初のマーケティングレーベルだ。ブランドマーケティング、そして音楽をはじめとしたエンターテインメントマーケティング双方のプロフェッショナルが集まった当レーベル。彼らは、デジタルメディア、マスメディアにとらわれず、統合コミュニケーションデザインの企画から制作、広告、PRまでを一貫して行っている。過去、「立命館大学 x 感覚ピエロ」「KEYTALK x JVC」等々……輝かしい事例をいくつも残しており、TOPPA!!読者の中でも目にしたり耳にした事があるのではないだろうか。

今回、Modern Ageの発起人であり、レーベルヘッドでもある高野修平氏に対し、彼の生い立ちからModern Age設立までの軌跡、マーケティングレーベルの実態、今後の音楽・広告・PR市場の未来等を聞くべく、衝撃の1万字超えインタビューを実施した。

取材・文・編集・写真 / 宮久保仁貴


 

まずはこのメディア初登場ですので、高野様の自己紹介をお願い致します。

高野修平 : はじめまして、トライバルのマーケティングレーベルModern Age のレーベルヘッドを務めている高野と申します。今年で35歳になりまして、生まれも育ちも東京です。

 

一番初めに高野様が音楽に触れたのはいつだったのでしょうか?

 

高野修平 : 音楽と一番初めに出会ったのは中学生時代で、多くの人々が通過儀礼的に通った様にギターだったんです。ちょうど幼馴染が弾いているのを見て、僕も頑張ってトライしたんですが、Fが押せなくて(笑)。今となっては幼馴染たちはメジャーデビューも果たしたり、エンジニア業も行なっている友人もいます。反面、自分は音楽は大好きだけどプレイヤーに向いてないなと思いまして。早々にプレイヤーの道を諦め、リスナーとして専念する事にしました。

ただ、物作りは好きで、同時期に岩井俊二監督の『スワロウテイル』を観たんですよ。当時の自分にとって、あの映画は本当に衝撃的で、そこから映画監督になりたいと思ったんです。そこから、中学時代は学祭で流す為の映画を撮りました。全校生徒に流して、評判が良かった事は今でも覚えています。モノづくりって面白いなあ、と。

 

最初は映像に興味を持たれていたのですね。ちなみに、高野様自身の音楽的めざめやルーツは一体どの様なジャンル・アーティスト様になるのでしょうか?

 

高野修平 : 音楽の目覚めに関していうと、原体験はMr.Children、そしてプロデューサーの小林武史氏の音楽ですね。世代的にもMr.Childrenが好きだった事もあるんですが、先述の岩井俊二監督の『スワロウテイル』で小林さんが音楽監督を務めていて。そこで、僕の中で色々リンクしたんですよ。

その後、14歳の時に、友達の音楽マニアがいろんな音楽教えてくれたんです。まず初めにSigur Rós、そしてその後Radioheadの『KID A』を教えてもらって。前者に関しては、「こんなに美しい音楽がこの世の中にあるんだ……!」と感動しました。後者は当時の自分にはあまりにも衝撃的過ぎて……思考が処理出来ず、どう反応すれば良いのかわからなかった事を覚えています。その2つの出会いによって、14歳から洋楽にシフトしました。そこからUK、北欧音楽を掘り出して、ColdplayやOasis、Blur……そして当時流行していたアメリカ音楽も一通り聴きましたけど……一番のルーツはUKなのかな、と思います。

 

なるほど!その後の学生生活は如何お過ごしになられたのでしょうか?

 

高野修平 : そこから時を経て、大学では映像を学ぶ事が出来れば、と思いまして。それこそ、著名な映画監督岩井俊二監督や是枝裕和監督の様になりたくて。どの大学だと学べるかな……と探していたら、早稲田大学にどうやらその手では有名なサークルがある事を知りまして。「入学したら、このサークルに行きたいな……!」と受験したら見事に散りました(笑)。そこから浪人して、再受験したんですが、こちらも結果が実らず(汗)。二浪する勇気も無く、どこぞの大学に行ったんです。ただ、ここでは監督になれない事を悟って。昼間はその大学に行き、夜は映画の専門学校に行き、撮影や演出、脚本のノウハウを勉強していました。

よく考えれば、ここが自分のターニングポイントだったのかな……と思います。その学校である時、「映画とは商品か作品か?」みたいな論争が巻き起こったんです。多くの生徒や講師は映画が作品派だったんですけど、彼らが好きな映画が、所謂ゴダールなどの”映像”作品だったんです。個人的にはそれらの作品は好きだったんですけど……その当時、商業的に大ヒットした『踊る大捜査線』シリーズがヒットしていたんです。

自分の考えとして、映画は一つの娯楽であって、1800円なり1500円なりを払って、面白いと思う人は映画館に通う訳です。それはつまり、映画とは、一つの商品でもある訳ですよね。自分はこの事をすごく意識していて。『踊る大捜査線』シリーズは、その点において素晴らしい作品じゃないですか。そこで、映画監督への憧れは持ちつつも、映像がどうやったらお金に繋がるかを考えた時、初めて広告業界に興味を持ち始めたんです。

 

ここで初めて広告業界を意識されたのですね!

 

高野修平 : そうなんです。CMやMV業界は、そういう商業意識を持った映像を取り扱っている訳で。その後、自分で大学や企業に対して映像制作の営業活動を行なっていました。

その後、就職活動シーズンが始まり、電博を中心とした総合系広告代理店を受けたんですが、受からずでして。その当時YouTubeが勃興した頃で、そこで、考えを拡張して、WEB系代理店を中心に受け始めて。最終的に自分を受け入れてくれたのは某大手WEB系代理店でした。

 

ちなみに、就職活動の際、音楽業界は意識されたのでしょうか?

 

高野修平 : 今の活動から見ると不思議な話ですが、音楽業界への就職は当時1ミリも思っていなかったんです。あくまで一音楽リスナーだったので、その発想はなかったんです。

そして、いざ新卒時代が始まる訳ですが……これが自分の人生の中で今にして思えば本当にいい経験をさせて頂いた場で。今でこそ動画市場はホットですけど、当時はまだ少し早くてなかなか苦労しました。かつ、自分自身生意気な新卒で当時の上司は相当苦労したと思います。で、まあいろいろあって……病んじゃったんですよね。

そんな感じでは結果も出る訳が無く、悩んだ末に辞める決断をしました。当時は新卒で入社してから半年で、実績もスキルも知り合いもいない何も状態でポーンと社会に掘り出された訳で。

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