株式会社エル・ディー・アンド・ケイ(LD&K) 取締役 菅原隆文

株式会社エル・ディー・アンド・ケイ(LD&K) 取締役 菅原隆文

株式会社エル・ディー・アンド・ケイ取締役 菅原隆文 (読み方 : すがはら たかふみ)
LD&K 音楽事業部HP : http://www.ldandk.com/music/
Twitter : https://twitter.com/ldandk
Facebook : https://www.facebook.com/ldandk
YouTube : https://www.youtube.com/ldandktube
TOKYO CALLING Twitter : https://twitter.com/t_calling_2018
TOKYO CALLING Facebook : https://www.facebook.com/pg/tokyocallingjp/
菅原隆文氏 個人Twitter : https://twitter.com/sugaharatakafum

近年、音楽業界の売り上げ比率において、大きな割合を占めつつあるライブ産業。各アーティストのワンマン公演、野外・都市型フェス等、様々な形態がある中で、サーキットイベントの存在を見逃す事は出来ない。数多くのライブハウスを舞台に、ジャンル、有名無名、老若男女問わず、数々のアーティストが出演するこの形式。新たな発見・出会いをされるユーザーも多いのではないだろうか。

今回ご紹介する菅原隆文氏は、株式会社エル・ディー・アンド・ケイ(LD&K) 取締役でもあり、日本国内有数の巨大サーキットイベント「TOKYO CALLING」の発起人だ。TOKYO CALLINGは、音楽業界全体を盛り上げるべく、発起人である菅原氏の着想から始まったイベント。菅原氏を中心に、大阪は「見放題」主催の髙橋祐己氏(通称 : 民やん / 株式会社CLOUD ROVER代表取締役)、名古屋のでらロックフェスティバル主催の綿谷剛氏(RAD CREATION株式会社代表取締役)、TENJIN ONTAQ主催の首藤宏昭氏(PROJECT FAMIRY代表)が首脳陣として、企画・運営を行なっている。2016年9月中旬の三連休に始まり、昨年2018年9月開催で第3回目となるTOKYO CALLINGだが、この3年間、新宿、下北沢、渋谷3会場共に大盛況を博している。

今回、菅原氏に対し、彼の生い立ちから現在に至るまでの経歴・音楽遍歴、TOKYO CALLING開催のきっかけや、開催に関するテーマ、熱意、裏話を伺うべく、1万字超えのロングインタビューを実施した。

取材・文・写真 / 宮久保仁貴 編集 / 庄司政幸・宮久保仁貴


 

まずは、菅原様の自己紹介をお願い致します。

 

菅原隆文: 1970年7月2日名古屋で生まれ、小中高と名古屋で過ごし、大学から東京に出てきました。今振り返れば……小学校時代は本ばっかり読んでました。赤川次郎と星新一は全部読んでました。あとはなんだろう、井上靖とかかな。新潮文庫の100冊とか買ってきては読みふけってました。サッカー部だったんですけど、まあ下手くそでしたね。そんなこんなで、音楽とは特に関係ない感じで過ごしてました。

 

初めて音楽に触れられたのはいつの出来事になりますか?

 

菅原隆文 : 小学校の時にWALKMAN2をもらったんです。それにサンプルテープがついていてYMO(YELLOW MAGIC ORCHESTRA)が入ってました。「RYDEEN」を聴いた時、メチャクチャ衝撃を受けたんですよね。この時感じた衝撃は、今でもはっきり覚えています。ただ、その影響で楽器もやったかといえば、そうでもないですし、YMOを掘り下げるわけでもなかったんです。当時、ヘッドフォンで音楽を聴く文化なんて無いわけで。当時はテレビの音ってモノラルだし、レコードだとブツブツいってるし。でも、ウォークマンのメタルテープとヘッドフォンで音源を聴いた時の事は、今でも覚えています。

 

感動的な経験をされたのですね!その後、音楽活動は行われたのでしょうか?

 

菅原隆文 : その後、中学校に進みました。公立の中学校なので、わりと普通の中学生活を送っていたんですが、中3の時にバンドを組みました。

 

どの様なバンドを組まれたのでしょうか?

 

菅原隆文 : 所謂コピーバンドですね。1985年MTVが全盛期で、友達が皆洋楽を聴いていて。僕も例に漏れず、そこからMADONNAの『Like a virgin』で初めてLPを買った事を覚えています。友達にギター好きな奴がいて、「丁度文化祭のシーズンが迫ってきているから、バンドをやろう!」という話が持ち上がったんですよ。個人的には、当時そんなにバンドには興味が無く、友達がやっているからバンド一緒にやるか、くらいの気持ちでした。ハードロックが好きな奴が曲を選んで……KISSの「Heaven’s on Fire」とBON JOVIの「夜明けのランナウェイ」「愛は蜃気楼」やったのかな……?その中でドラムを担当しました。

あとは勉強ばっかりしてましたね。中学時代は。その後地元の高校へ。進学したら、周りが頭良すぎて、勉強で勝てないな……と思ったんです。勉強以外のことに情熱を注がないとアイデンティティ保てないなあと。それで音楽にのめり込んでいきました。洋楽好きだったんですが、地元のレコード屋でSID VICIOUSの「MY WAY」の12インチシングル買って。それ以来、パンクスでした。高校時代は周りにパンクを聴いてる奴がいなくて、中学時代のバンド仲間とでパンクバンドを組んでました。名古屋といえばSTAR CLUBがいる訳で。パンクのレコードをただひたすら聴いてました。高校時代、勉強は殆どしていなかったです(笑)。いわゆるインディーズ御三家とか言われてる中で、地方なので情報が降りてくるのが遅くて。宝島、DOLL、FOOL’S MATEが全ての情報源でした。『ゆきゆきて、神軍』のロードショー観に行ったり。情報に飢えていて一生懸命追っかけてる感じでした。夏休みに友達と竹下通り行ってJIM’S INNとか赤富士で買い物したり。ニューロティカ、ニューエストモデル、ゲンドウミサイルが大好きでしたね。あとは地元でいうと、バーナムとか割礼とかGODとか。今考えてもカッコ良いバンドがたくさんいて。ハックフィンとかELLとかオープンハウスとか。ライブハウスばっかり行ってました。

 

そこから上京に至られたと思いますが、こちらのきっかけを教えていただけますでしょうか。

 

菅原隆文 : 新宿LOFTとかに憧れがあったんですよ。だからまあ東京に出たくて仕方なくて。何はともあれ上京したくて。東京の大学に進みました。

大学の時は……バンドしかやっていなかったです。ドラマーは基本的にバンドで足りないもんだから、引っ張りだこで。高校から組んでいたバンドを引き続き行いつつ……ほぼほぼバンド三昧の生活を送っていました(笑)。ただ、ミュージシャンとして才能が無い事は高校一年生の時に気がついたんですよ。僕は中三からドラムを始めているんですけど、高校入ってから始めた友達がメチャクチャ上手くなる事も多々あって。そこから、音楽は趣味で良いかなぁと思っていまして。大学に入ってからも遊びでバンドをやっていました。

 

そんな菅原様が音楽業界に足を踏み入れたきっかけは何だったのでしょうか?

 

菅原隆文 : う〜ん……とにかく働きたくなかったんですよ(笑)。人に言われてやる事が大嫌いで、早起きして8〜9時に会社に行く事が無理で。なんとなくステレオタイプ的なサラリーマンは嫌だな、と思っていたんです。とはいえ、大人になって仕事はしなきゃいけないじゃないですか。その中で、単純に音楽が好きだったので、音楽に関わる仕事がしたいな……!とも考えていたんです。

ただ、当時は音楽ビジネスに関して、どういう業種があるのかすら知らなくて。プロダクションやプロモーターの存在も知らなかったですし、そこで働くこともわからなかったんです。ただ、音楽=レコード会社という事はなんとなくわかっていたので、新卒でレコード会社に就職しました。

 

新卒で入社された会社ではどの様な事をされていらっしゃったのでしょうか。

 

菅原隆文 : 実際入ってみたら、沢山の部署、沢山の人がいる訳で、いきなり制作や宣伝部門に配属される事も無く、経理部門に配属されました。その為、直接音楽アーティストに関わっている形ではなく、会社のお金の管理や音楽出版を任されたりしていて。そこでは、著作権、著作隣接権などの印税システムを理解出来たんですけど……やはり自分が思っていた仕事内容とは違う訳で、あまり向いていませんでした。好きな事は出来ないし、あまり身に入らなかったです。

その反面、仕事が終わったら、いつもライブハウスに行って沢山のライブを観ていました。下北沢のSHELTERとかQUE、GARAGE、屋根裏ですね。その後、ずっと経理の仕事をしていてもしょうがないと思い、その会社は早期退職をしました。いわゆるリストラですね。20代でリストラされるという……。

 

そこから、現在所属されているLD&Kに入社された訳ですが、こちらの経緯を教えて下さい。

 

菅原隆文 : 当時、下北沢周辺はインディーズバンドが出てきていて。ハイラインとかでテープやCD売ってて。それこそ、KOGA RECORDS、UK PROJECT、そして弊社LD&Kも出てきて、シーンとして活気付いていた頃ですね。メジャーよりもインディーズの方が面白そうだな、と感じていました。ただ、当時LD&Kに入るという選択肢は無くて、前職の先輩が紹介してくれた別の会社を経まして。その後、LD&Kに入ったんです。

新卒のレコード会社時代から、弊社代表の大谷と一緒によく麻雀してたんですが、彼がまあ麻雀強くて面白くて。その時、「LD&Kで働きたいなあと!」と漠然と思っていたのですが、当時の自分は経理の経験しか無くて、その時はそういった話をしなかったんです。その後、前職の会社を経てから彼に再び会い、「入れて欲しい。」と直談判したんですよ。そうしたら、「いつから働ける?」となり、入社が決まりました。そこから僕の音楽業界人としてのキャリアがスタートしました。それが1999年の10月の29歳の時で……そこまでは、本当の意味で音楽の仕事をしていないと思っています。僕の音楽業界人生はLD&Kから始まりました。

 

ありがとうございます。続きまして、LD&Kには数々の優れたアーティストが所属してらっしゃいますね。菅原様が担当されていらっしゃるアーティスト様との出会いのきっかけを教えて下さい。

 

菅原隆文 : 当初Cymbalsのマネージャーをやっていたんですよ。彼らはビクターからメジャーデビューしたんですが、彼らと一緒に僕も音楽業界のノウハウを学んでいきました。レコーディングもそうだし、ライブの組み方もそうですし。その後、ガガガSP、つじあやの、Roboshop Mania等がメジャーでリリースする中、僕は自然と現場のチーフマネージャーとなりまして。その中で、そろそろ自分でもアーティストを見つけたいな……と思い、アーティストを探すようになりました。

かりゆし58との出会いは、彼らのデモテープが会社に送られてきたんですよ。いざデモを聴いたら、メチャクチャ良くて……!すぐさま電話して、沖縄のライブを見に行く約束をしたんです。それが2006年か……その後、ライブを観に行き、そのまま「一緒にやろう!」と話して。その2ヶ月後にはレコーディングしてましたね。

打首獄門同好会はCHELSEA HOTELの支配人の川崎( 川崎秀一氏)に、「良いバンドいたら教えてね!」という話をしていて。打首はそこから知ったバンドなんです。彼らについても、音源を聴き、これまた「ヤバイ!」と思い、すぐに高円寺に会いに行きました。

ドラマチックアラスカは、たまたまTOKYO FMをかけていたら、「SCHOOL OF LOCK!」が流れていて。閃光ライオットの応募アーティストが流れてくる中で、彼らの曲も流れて来たんですが、「めちゃくちゃ良いバンドだな!」と思い、尼崎に会いに行きました。

そして、日食なつこは仕事でご一緒させていただいているテレビ朝日ミュージックから紹介してもらったんですよ。彼女もデモを聴いた時の第一印象が凄く良かった事を覚えています。

あとオメでたい頭でなによりに関しては、打首獄門同好会が対バンしたいという話になっていて。YouTubeでMVを見たら、「これは面白いなあ!」と。それですぐに連絡を取りました。

 

ちなみに、彼らと契約する際に重視したポイントを教えて頂けますでしょうか。

 

菅原隆文 : 思えば皆、基本的には偶然知ったり、これまでの縁で契約を決めていますね。でも、一番大事なポイントは……彼らのデモを聴き、初めて聴いた時の衝撃かな、と思います。初めて音を聴いた時の事を覚えているアーティストがいいなあ、と。例えば、かりゆし58を初めて聴いた時は、どこで聴いたか、横に誰が居たか等……デモテープを聴いた時の景色が残っているんですよ。ドラマチックアラスカを初めて聴いた時も、車のこの席に座って、どういう形で聴いていた事も覚えています。その瞬間を、まるで絵の様に覚えているんですよね。そして、結果的にそういうアーティストと一緒にやっているし、これからもそうなんだと思います。

あと、もう一つ大事なポイントとしては……声とかメロディとか、どこか一つ特化した強みを持つアーティストと、結果的に契約している点だと思います。所謂平均点を取れるアーティストではなく、突き抜けた個性のあるアーティストが好きですね。それぞれの個性がある中で、アーティストの一番良い部分を伸ばしたいと考えています。その結果、自分達の良さを武器に、勝手に売れていくアーティストが選ばれている気がします。

そして、一緒にやるからには、ずっとやり続けるというか……何かしらの形で彼らをサポートしたいと思っています。長い事付き合っていけるアーティスト……これは人間的な部分が大きいのかな。音楽は人が作っているからこそ、どういう考えを持っているか共有しあえば相乗効果を生む訳で。こちらとしても、人間的に一緒にやりたいアーティストと一緒に仕事している気がします。

 

これらの考え方があるからこそ、結果として素晴らしいアーティスト様が在籍されるのだと思います。続きまして、菅原様を発起人として、大阪は「見放題」主催の髙橋祐己氏(通称 : 民やん / 株式会社CLOUD ROVER代表取締役)、名古屋のでらロックフェスティバル主催の綿谷剛氏(RAD CREATION株式会社代表取締役)、TENJIN ONTAQ主催の首藤宏昭氏(PROJECT FAMIRY代表)の4名で企画されているTOKYO CALLINGについて触れたいと思います。現在、都内でも有数の巨大サーキットイベントとなりましたが、こちらを始めたきっかけを教えて下さい。

 

菅原隆文 :  TOKYO CALLINGを始めたのは必然というか、自分の音楽キャリアから自然に出てきた流れでした。1999年から来年で丁度20年、LD&Kで音楽業界人として働き始めてから、5年周期で色んな事を経験したんですよ。まず、LD&Kに入ってからは5年間はいわゆるメジャーレーベルに対しての音楽事務所としてのマネージメント業務です。Cymbals、Roboshop Mania、ガガガSPなどのマネジメント業務です。ソニー、ビクター、トイズファクトリー、エイベックスなどのレーベルと一緒にアーティストのマネジメントをしていく仕事です。当時はCDの売り上げが大きかったので、必然的にマネジメントはレコード会社の業務を中心に動いていました。リリースがあって、それのレコ発ライブ、そしてキャンペーンと。

次の5年はレコード会社としてのスタンスですね。マネジメントだけでは会社が成り立たないので、CDをしっかり売る為に必要な宣伝部分の強化です。具体的には、CMなどのタイアップ、テレビ番組へのブッキングです。テレビ局系の出版社と組んでアーティストを育成したり、プロダクションと一緒に仕事したり。マニ☆ラバ、カルカヤマコト、かりゆし58などと一緒に進めていきました。当時はまだまだCDが売れていたので、そこを伸ばしていくのが一番の目的でした。まずは会社の体力をつけることが大切なので。ガガガSPは別として、まだまだライブで稼ぐというよりは、CDの売り上げをメインに考えていました。

 

今でこそ興行分野は伸びているとされていますが、コンスタントに黒字化するには非常に難しいと思います。

 

菅原隆文 : 当時からおかしいとは思っていたんですよ。何でこんなに必死に働いたのに、ライブって赤字になるのか。そういう意味で、音楽事務所というビジネスモデルはすごく脆いものでした。レコード会社からの契約金に成り立っている。言ってみれば、レコード会社の援助なくてはやっていけない。これは健全なビジネススタイルじゃないですよね。あくまでLD&Kとして、事務所としてもレーベルとしても、ずっとアーティストを支える為にはどうしたら良いのか、という事を模索し続けてきました。

ここに関しては、代表の大谷が着実に整えてくれていたんですよ。音楽事業部だけでは脆い会社の運営に、飲食事業部を作って経営の健全化を進めてくれました。当時、今ほどレーベルや事務所による飲食事業やライブハウス事業が一般的ではなかったのですが。2001年に宇田川カフェができて。次の年にはCHELSEA HOTELが出来るという。音楽事業部の不安定さに対して、飲食事業部門が着実に大きくなってきて。

そして、音楽事業部を少しでも安定させるために宣伝力の強化を考えて、テレビ朝日ミュージックと一緒にアーティストを育てることになりました。それがマニ☆ラバです。当時、彼らは青森の高校生だったんですが、とても良い楽曲とボーカルがいて。全国区のTV番組『ストリートファイターズ』で彼らの事を露出し、地方のプロモーションから全国へ、という流れを作りました。

その後、2006年にかりゆし58と出会いました。沖縄でのプロモーションをしっかりやって、そこから全国へ、という形で進めていきました。かりゆし58との出会いから、レコード会社としての立ち位置を築けるようになっていきました。

ただ、同時にCDが売れなくなっている事、そして音楽業界自体が縮小傾向にある事を感じたんですよね。今後、アーティストに対してどういう事をしていけば良いか考えたんです。その時、原点に戻ろうと思って、元々大好きだったライブハウスに帰ってきました。その中でプロデュースしたのがドラマチックアラスカです。彼らは神戸のバンドなのですが、関西のシーンで持ち上げていく中で、とても良い流れが関西にはあるなあ、と気がついたんです。ライブハウスの横の繋がりとか。様々なイベントが点ではなく、線でつながっている事とか。

 

どの様な点において、活路を見出されたのでしょうか?

 

菅原隆文 : 関西には全てがあるんですよね。メディアがあって、イベンターがあって、ライブハウスがあって、個人の企画があって。サーキットイベントだとFM802主催のMINAMI WHEELや民やん主催の見放題があって、RUSH BALL-RとかYOUNG LIONがあって、大きいフェスだとRUSH BALL、音泉魂、RADIO CRAZY等、段階毎に良いイベントがあり、それが文字通り線になって繋がっているんですよね。東京は大きなイベントはあるのですが、それぞれが独立している感じです。

関西だとバンドを始めた時に、最初に目指すべき目標がはっきりわかるんですよね。例えば、「見放題出たいよね!でも、どうしたらいいの?」となれば「民やんに聞いたら良いよ!」と。その次はMINAMI WHEELに出演して、次はCOMING KOBEに出る、みたいな感じで。バンド自身もそれぞれ横のつながりを大事にして頑張っています。バンド自身が良ければ、2年くらいやればどんどん大きくなっていける。本当にその階段がしっかりしているんですよ。

ドラマチックアラスカを東京で広めようと思った時に、サーキットイベントはいくつかありましたけど、どこも単発で、次に繋がる感じがあまりしなかったんです。関西の様に、アーティストが育つイベントを作りたいと思ったのが、TOKYO CALLINGを始めたきっかけでした。

 

ありがとうございます。それでは、TOKYO CALLINGを運営される上で感じた事を教えて下さい。

 

菅原隆文 : 東京のシーンは、多くのプレイヤーがいて、レコード会社、メディアやプロモーターがいて、それぞれの分野でミュージックビジネスを頑張っているじゃないですか。ただ、それぞれが断絶しちゃっている気がしたんですよね。地方と比べると、東京はシーンが数多くに分かれているじゃないですか。どのジャンルも細分化されていて。その反面、地方だと全部ごちゃまぜになっていて。ロックもパンクもレゲエもヒップホップもミックスされているんです。東京はそうじゃなくて、全部一つ一つのジャンル毎にシーンが分かれているんですよね。ひとえに人口が多いので、それぞれのジャンルごとでマーケットが成立している訳なのですが。

 

確かに、東京と大阪で空気感の違いを多々感じます。

 

菅原隆文 :  例えば、MINAMI WHEELはFM802の主催なのですが、ここのライブハウスはGREENSが担当、じゃあここは清水音泉だとか、上手く共存していて。東京だとあまりそういう事は考えられていなくて。東京でも同じことができればいいなあ、とは考えていました。シーン全体で盛り上げるということですね。TOKYO CALLINGの現場運営はCREATIVEMANの目黒氏とハンズオン・エンタテインメントの小関氏と一緒にやっています。ステージの一つはHOT STUFF PROMOTIONさんにお願いしたり。最初は違和感もあったようですが……TOKYO CALLINGはバンドシーンのインフラになって欲しくて。特定の誰かの物では無いし、エゴが無いのがエゴだと思うので。

僕が最初にやろうと言い出したので、LD&Kも主催していますけど、「見放題」の民やん、「でらロックフェスティバル」の綿谷氏、「TENJIN ONTAQ」の首藤氏、この4人でTOKYO CALLINGは運営しています。そこは完全に対等で、お互いの出来ることを均等に持ち寄って運営しているんです。

TOKYO CALLINGには、一つこだわりがあって。それが何かと言うと、「絶対的にフラットである。」という事なんですよ。例えば、どこかの企業の肩入れがある事はしたくないです。アーティストが「是非出演したい!」というプラットフォームにしたいんです。その中で大きくなったアーティストは、どんどん外に出ていってほしいです。アーティスト活動を始める人達にとって、「やっぱり、TOKYO CALLINGに出たいな!」と思ってもらうべく、始めたイベントなので。かつ、下北沢、新宿、渋谷合計で300組程のアーティストが出演するイベントは他には無いので。公正な運営に関しては、しっかりやりたいなと常日頃思っています。皆にTOKYO CALLINGに参加してもらって、バンドシーンが一つにまとまって行く……その象徴として、TOKYO CALLINGが育つ事を理想としています。

 

今まで、これほどの大規模なスケール感でフラットなイベントは、あるようで実は無かった様に感じました。

 

菅原隆文 : 僕自身の音楽への原体験について再び話を戻すと、僕自身は中学3年生の時にバンドを始めて以降、音楽が僕の人生をほぼほぼ作っているわけなんですよ。中学の体育館でライブをやって、それがめちゃくちゃ盛り上がって、「なんて楽しいんだろう!」と。これが原点にあります。高校大学もバンドをやって、就職してレコード会社・事務所を経験し、弊社でも音楽に関わる仕事が出来て。音楽の仕事をしたかった気持ちは昔からあるし、今でもその気持ちは変わらないんですよ。ただ、でも特定の職種……それこそディレクターになりたかったわけでもないし、音楽プロデューサーやイベントプロデューサーになりたかったわけじゃないんです。

じゃあ、一体自分の根底には何があるんだろう……と思い返した際、音楽への関わり以前に、人と関わる事が好きなんだと気がついたんですよ。たまたま中学で音楽にハマったという事、それはイコール人とも関わる事。その結果、僕の人生は全て音楽に関わる事に繋がっていたんですよね。そんな自分の人生から、もし音楽が無かったら、何も残っていないと思うんですよ。そう考えると、「本当、音楽に感謝しなければいけないなあ。これは音楽に恩返しする気持ちでやらないと……!」という想いから、TOKYO CALLINGを始めたんです。

まずはバンドマンに感謝したいですね。自分はバンド出来なかったんで。今はバンドマンたちを支えていかなければと思っていて。音楽業界は昔からあって、大昔に出来たシステムを元に動いていますけど……もっとミュージシャンが報われるように、幸福になれる方向に持っていける為の仕事をしていけたら、と思います。

 

それこそ、TOKYO CALLINGをきっかけにブレイクのきっかけを作ったアーティスト様もいれば、新たな発見をしたオーディエンスも多いと思います。この中で、菅原様自身がTOKYO CALLINGを起点に、新たに見つけられたアーティスト様はいらっしゃるのでしょうか?

 

菅原隆文 :  これに関しては、特定のアーティストがどうとか、これが良いと言う事はなくて。4人で自信を持って全バンドを選んでいるので、良いバンドしかいないとしか言いようが無いですね。まず、TOKYO CALLINGを開催する前に色々考えた時、いろんな人を巻き込む訳ですよね。それこそ、プレイするアーティストしかり、ライブハウスのスタッフさん、音楽業界の方々、お客さんが混在する中で、それぞれに喜んでもらわないといけないと思っていて。

先ほどの話に繋がるんですが、何故TOKYO CALLINGが9月にやるのかというと、お客さんを広げたいと思っての事なんです。いわゆる大学生や専門学生が4月に入学して、いろいろ友達ができて、夏休みどうする?とか、旅行行こう!とか、それこそフェスもその選択肢の中にあって。かつ、夏フェスは、そこまで音楽に興味ないけど、試しに行ってみるライトユーザー層がいて。かつ彼らが実際にフェスに行って楽しい経験をしたとするじゃないですか。ただ、その新規層をライブハウスに持ってこれるかどうかがキーポイントだと思うんですよ。フェスで興味を持ったは良いものの、実際ライブハウスに行くとなるとハードルが高いじゃないですか。ただ、TOKYO CALLINGはそういうお客さんの受け皿になるべく、フェスに出演していたアーティストもしかり、これからフェスに出れるであろうアーティストも引っ括めて出演していて。かつ、これまで行った事が無かったであろう下北沢、新宿、渋谷の30箇所の会場に足を運べるので、そのハードルも低くなるのかな、と思います。知らなかった会場に行ってみて、名前のあるバンドも見つつ、まだまだ有名じゃないけどカッコいいバンドがいて……TOKYO CALLINGを起点に、新たな一歩のきっかけが作れると嬉しいです。

 

-TOKYO CALLINGの登場により、夏フェスからあぶれる若者は減った様に感じます。ちなみに、何故この3日間、かつ新宿・下北沢・渋谷に拘られるのでしょうか?

 

菅原隆文 : 関西はサーキットイベントをするのに凄く良い土壌なんですよね。大阪はアメ村を起点にMINAMI WHEELはやっていますが、あの会場の規模感、街の風景・文化含めて、すごく良いじゃないですか。渋谷単体のサーキットだとアメ村のあの感じが出せないのかな、とも思ってました。じゃあ……新宿、下北沢、渋谷と一緒にやれば、あれに勝てるんじゃないか?と2014年の11月に感じたんですよ。丁度、その時9月の3連休を抑えられるのが、2016年9月だったんです。始まりから今まで、この新宿・下北沢・渋谷の3都市は変わっていません。

概して言えば、渋谷は割とメジャーなアーティストが出る傾向が強いのですが、蓋を開けてみれば、まだ有名で無いけれども個性のあるアーティストが揃った下北沢の評判が良かったり……「いろんな出会いがあって楽しかった!」と言ってもらえた事が嬉しいですね。4人が信じたアーティスト、そして土地・会場選びをしていて、間違いがなかった、と。あと、2018年で3回目なんですけど、お客さんの意識が変わってきているのも嬉しいですね。まだ見たことのないアーティストとの出会いの場として、TOKYO CALLINGを捉えてくれている様に感じます。

集客や利益の事を考えたら、絶対的に渋谷で3日間やった方が良いんですよ。キャパ的にも渋谷が大きいわけで。たまに「渋谷だけでやらないか?」と言う話が出たりするんですよ。でも……それをやるとTOKYO CALLING の良さは無くなってしまうと思うので。今まで築き上げてきた土壌や文化を含めてこそ、やはりTOKYO CALLINGなわけで。だからこそ、下北沢、新宿、渋谷なのでやるのがベストなんだと思います。

 

土地毎のカルチャーがあってこそ、ですね。お話は戻りますが、TOKYO CALLINGを運営される上で、勿論良い事もあれば、苦労された事もあるかと思います。こちらについて、教えて頂ければ、と思います。

 

菅原隆文 : 基本的には良い事しか無いのですが……あるとすれば、2016年開催時の第一回目のチケット先行の時ですね。これだけ大見得切って開催を決めた大規模イベントです。6月辺りに先行が終了して、どれだけ売れているか期待が膨らむじゃないですか。ただ……いざ蓋を開けてみれば、先行で売れた枚数が100枚レベルで。あの時は一週間程何もする気が起きず、寝込んでいました……。民やんは「大丈夫、タイムテーブルを出したら売れるから!」と言っていましたが……本当かよ、と。結果としてソールドアウトしたので良かったのですが。

毎回総キャパシティに対して、8割以上売り上げをいけないと赤字になるのですが……お陰様で3年間全て黒字で終えられています。これは本当に信念を持って、バンドもそうだし、レーベルやプロダクション、お客さん、ライブハウスのスタッフの皆さんに接したからこそ、結果として結びついたんだと思います。それこそ、毎回3日間が終わった翌日に、全ライブハウスに一件ずつ挨拶に行くんですよ。新宿、下北沢、渋谷を周って。毎回「今回、どうでした?」とスタッフさんに感想を聞くんですけど、皆揃って「凄く良かった!」と言ってくれるんですよ。ライブハウスが全ての始まりの地点だからこそ、支えて下さったスタッフさんにそう仰って頂けて、「あぁ、またやって行けるんだな……!」と毎回感じますね。

弊社はマネージメントから始まった会社で、イベント運営は副次的なものです。でも、このイベントをきっかけに、バンドシーンが盛り上がってくれるのは嬉しいですね。

 

ありがとうございます。お話は変わりまして、音楽事業から飲食まで……非常に幅広い事業内容で知られるLD&Kですが、この会社を一言で表すと、どのような会社だとお考えですか?

 

菅原隆文 :  この辺は、代表大谷のイズムが強く出た会社だと思います。好きなことを好きにやって、その代わりに結果を出す。この一言に尽きますね。僕に関しては、音楽部門を任されていて、やりたい事しかやってないんで。やりたい事があれば、自由に叶えられる会社なんじゃないかな、と思います。

もし強みがあるのであれば、意思決定のスピードが非常に速い点、そして、今までメジャー・インディーズ大小問わず手がけてきた会社ではあるので、アーティストに対して、いろんな方法でフォローが出来ると思います。レーベル業務、流通、営業、宣伝、イベント制作、ライブハウス、クラウドファンディング等々、様々なニーズに対応出来、360度全てのビジネスが出来る事だと思います。

 

全方位からサポート出来る会社は、在る様で実は中々無いですよね。だからこそ、数多くのアーティストが貴社を選ばれるのだと思います。続きまして、近年の音楽業界について、感じる事を教えて下さい。

 

菅原隆文 : 既存の音楽業界の体制は古くなってきているんだと思います。旧来のアーティスト像から、今のアーティストは在り方が変わってきているわけで。もっとアーティスト主導の音楽業界になるべきだと思います。それに付随して、マネージメント手法も変わる必要がある、と常々思っています。その為に、何をやる事がベストか模索中ですが……例えば、アーティストとの関わり方もそうですし、お金の配分方法については、よく考えています。既存のルールに則って還元していくと、最終的に業界もアーティストも痩せ細っていくと思うので。新しいルールを作らなければ、と思います。

 

確かに、今後業界の根底から変わる必要性がある様に思います。それでは、菅原様自身の今後の目標を教えて下さい。

 

菅原隆文 :  もし一つあげるならば、やはりTOKYO CALLINGに関してですね。このイベントをきっかけに、人々の心に何かしらの形で響いたと思っています。ここを起点に、人々の目標や新しい出会いの助けになれば良いと思っています。かと言って、もっと大規模なイベントをやりたいかというと、そうでもないんです。今開催出来ているTOKYO CALLINGのイベントとしての質・精度を高めていき、より楽しく、良いものを提供する事が目標ですね。

 

今回はご回答いただきまして誠にありがとうございました。最後に、これから音楽業界で働こうと考えている若者へメッセージをどうぞ。

 

菅原隆文 :  音楽業界で働く上で一番重要な事だと思うんですが、まず、音楽が好きで音楽業界を目指すのであれば、その初心を忘れずに行動し続ければ、いつか形になると思います。どんどん飛び込んで来てくれれば嬉しいです。僕の場合、もうすぐ50歳も目前にしているんですが、この歳になっても老いも若きも多くの仲間と一緒に仕事が出来ていますし。TOKYO CALLINGもそうですし、本当に楽しくてしょうがないですね……! 大変な部分もありますが、ハマればとにかく楽しい業界です。もし仮に、このインタビューきっかけで新しい世界を一緒に作っていける人が出てくれば、本当に幸せですね。


【株式会社エル・ディー・アンド・ケイ 求人情報】

■概要
株式会社エル・ディー・アンド・ケイは、「音楽レーベル&プロダクション」「アーティストの発掘から育成」「ライブハウスの運営」「カフェ・バーの経営」など、音楽を通じてカルチャーやライフスタイルを発信するエンターテイメント企業です。

【所属アーティスト】
ガガガSP/かりゆし58/打首獄門同好会/中ノ森文子/日食なつこ/ドラマチックアラスカ/湯木慧/オメでたい頭でなにより/ヤングオオハラ

■職種
①アーティストマネージャー・A&Rディレクター
②ライブ制作スタッフ
③アーティストグッズの企画・制作、販売管理スタッフ

■業務内容
①アーティストのマネジメント及び、スケジュール管理、ライブ・イベントの現場立会い、音源制作など、マネジメントに関わる業務全般
②ライブやサーキットイベントの企画・運営・制作管理業務、チケットの販売・管理・精算業務
③アーティストのグッズ企画・制作・販売業務全般

■求めるキャリア・スキルや応募
※①②③ともに、中途採用のみの募集となります

・普通自動車運転免許(①は必須)

・PCの基本操作ができる方

・音楽好きで、前向きで明るくコミュニケーションの取れる方

■雇用形態
契約社員(3年間)その後正社員登用制度有

■勤務地
初台事務所(東京都渋谷区初台2-5-8 西新宿豊国ビル1F)
「京王新線 初台駅」より徒歩10分

■勤務時間
11:00~20:00(残業有)
※アーティストやライブのスケジュールにより変動します。

■休日・休暇
週休2日制(土・日・祝日)
年末年始・夏季休暇 ※スケジュールにより変動あり

■給与
月給18~30万円以上
※能力、経験を考慮の上、当社規定により決定いたします。
(試用期間3ヶ月あり)

■待遇・条件
交通費全額支給、社会保険完備
昇給(2年目以降有)
賞与(2年目以降対象、年2回業績による)
社員旅行(2年目以降対象)
退職金制度(4年目以降対象)
勤務年数に応じた有給休暇制度

■応募方法
郵送にてご応募ください。

※必要書類
・履歴書(写真貼付) ※E-Mailアドレス、就業開始可能日をご記入ください
・職務経歴書(書式自由)

■郵送応募 宛先
〒151-0061 東京都渋谷区初台2-5-8 西新宿豊国ビル1F
株式会社エル・ディー・アンド・ケイ  採用担当・富田宛

■選考スケジュール
応募受付後、書類選考通過者にのみ随時面接日程をご連絡致します

■備考
※応募書類は、今回の採用選考にのみ使用し、同意なしにそれ以外の目的に利用したり第三者に提供することはございません。

※応募は随時受け付けておりますが、採用が決定次第、募集を終了させていただきます。

Comments are closed, but trackbacks and pingbacks are open.