TEMPLIME インタビュー

TEMPLIME インタビュー

TEMPLIME(読み方 : テンプライム)
メンバー(LtoR) : tempura / KABOSNIKKI
Twitter : https://twitter.com/templime
SoundCloud : https://soundcloud.com/templime

近年、急速に広がりを見せつつあるポップカルチャー・クラブミュージック/トラックメイカーシーン。YunomiやYUC’e、TORIENA、KOTONOHOUSE、Neko Hacker等のアーティスト達が先陣を切って進む中、シーンの次世代を担うアーティスト達も着実に登場しつつある。今回取り上げるTEMPLIMEもまた、その中の1ユニットだ。

トラックメイカーKABOSNIKKIのソロプロジェクトにDJ兼ユニットプロデューサーtempuraが合流し、結成されたTEMPLIME。活動1年足らずにして、数々の作品・リミックスを手がける彼ら。今年4月にリリースした『alpha e.p.』収録曲「ネオンライト (feat. 星宮とと)」はクラブミュージック・VTuberシーンを飛び越え、DJのプレイリストアンセムとしてその存在を確立しつつある(近年はDJ ミライアカリも本楽曲をプレイ)。また、先輩DJ・トラックメイカーDJ WILDPARTYやYUC’e、VTuber海月ねう(※現をとは)、周防パトラ、somuniaの楽曲のリミックスも作成。制作スピードもさることながら、TEMPLIME流の解釈で原曲とはまた違ったテイストが味わえる。

今回、tempura・KABOSNIKKIの二人に対し、初の単独インタビューを実施。結成・名前の由来、音楽的ルーツや、TEMPLIME第3のメンバーとも言えるVTuber“星宮とと”との出会い、過去楽曲・そして今後を紐解くべく、話を聞いた。

取材・文 / 宮久保仁貴(https://twitter.com/hermanhalkemen) 編集 / 松江佑太郎


 

本日はよろしくお願いします!まず初めに、お2人の生い立ちから教えていただけますか?

 

tempura : 僕はもともと音楽に触れたのが幼稚園の頃でした。ピアノを5歳ぐらいから始めて、中学3年生ぐらいまでの10年近くやったのが最初です。小学校と中学校の時は吹奏楽をやっていて、高校では吹奏楽部が無かったのでジャズバンドをやっていました。そこではピアノを弾き、片手間に合唱みたいなものもやっていましたね。その後大学で、DTMサークルに入りました。

 

なるほど。そこから、今のようなDJ活動をいつ始められたのでしょうか?

 

tempura : DJを始めたきっかけは、20歳になってすぐに大学のDTMサークルの人に誘われて、ageHaに連れて行かれたんですよ。初めてクラブという文化に触れたんですけど、そこで見たのがyuigotさんで、その音楽を聴いて、めちゃくちゃ衝撃を受けたんです。あと、当時はYUC’eさんやYunomiさんの名前すらも全く知らない状態で、YUC’eさんの「Future Cαndy」を聴いて、「なんだこれは!?」と思いました。そこからはどんどん、ああいうポップでカルチャーなクラブミュージックに惹かれていって、自分も始めようと思ったのが最初のきっかけです。

 

 

今をときめくトラックメイカー様達が勢揃いですね!突然ですが、お2人は今おいくつなんでしょうか? 20歳前後ですよね?

 

tempura : 僕は22歳ですね。

 

KABOSNIKKI : 僕もです。

 

ありがとうございます。KABOSNIKKIさんはいかがでしょうか?

 

KABOSNIKKI : 小さい頃からドラムとかウクレレをやっていて、中学からはギターを始めました。家族がみんな楽器をやっていたのが大きかったですね。そこから中高は吹奏楽をやって、大学でtempuraと同じDTMサークルに入ったんです。その頃はバンドサウンドの曲を作ったりとかしていて。それが今にも繋がっているのかな、と思います。実際にクラブミュージックっぽいものは、TEMPLIMEを組んでから本格的に作り始めました。

 

意外にトラックメイカーとしての歴が短いんですね。ちなみに……このユニークなユニット名、そしてお2人の芸能名の由来を教えてください。

 

tempura : 僕はめちゃくちゃ単純で、高校のクラスがちょっと変わり者の集まりで、3年間同じクラスだったんです。そこでよく分からないあだ名がめちゃくちゃ付くんですよ。気付いたら「天ぷら」と呼ばれてしまっていたがために、それが高校3年続いたんです。

それで、僕の高校から今通っている大学に進学した人が、同じ学年で50人ぐらいいるんですよね。そうすると、どのコミュニティにもひとりは同じ高校出身のやつがいて、そこで天ぷらと呼ばれるともうそう呼ばれることになってしまうんですよ。それが広まった結果、大学でもその名前が定着したので、そのままでいこうとなりました。あだ名が止まらなくなってしまった結果ですね(笑)。

 

一同 : (笑)。

 

KABOSNIKKI : 由来は、そんなに意味はないんですけど、緑色が好きだったので、最初にリッキーライムという名前にしていて。それが途中でKABOSNIKKIに変わって、その後にライムが復活したというか……。

 

tempura : もともとライムだったんだよね。天ぷらとライムだったのが、気付いたらカボスになってて、ちょっと整合性が取れなくなっちゃった(笑)。

 

KABOSNIKKI : そこも含めて面白いと思ってるんですけど、毎回説明しないといけないのが……(笑)。どこからライムとかカボスが出てきたのかとか。

 

tempura : カボスになったの本当に急だったよね(笑)。

 

-(笑)。さて、ユニットとして活動するにあたり、お互いに対して、そしてアーティスト・クリエイターとして対外的に意識している事はありますか?

 

tempura : ただただ分業制でやっていますね。KABOSNIKKIは基本的にコンポーザーとして楽曲制作の全てを担当して、それ以外の部分、主にマネージメント的な部分を僕がやって、みたいな役割です。

意識している事は……どうですかね。もともと大学3年間、というかもう4年目なんですけど、同じサークルで普通に友達として接してきたので、そこの距離感はあまり変わらないかなと。仕事のやり取りとかはしっかりやるんですけど、飯を食べに行ったり飲みに行ったり、その辺の距離感は組んでからもその前も、そんなに変わらないかなと思います。変に意識しすぎていない、とかはあるかも知れないです。

 

KABOSNIKKI : 僕としては、あまり対外的に意識している事はなくて。この人に気に入られたいからこういう曲を作るとかはあまり無く。良い意味でアーティストでいられるように意識しています。

 

tempura : 僕が若干の方向性の指針を提示して、そこに沿いながら作って、お互いにフィードバックし合いながら進んで、それが上手くいったりいかなかったりするんですが、基本的にはそういう感じです。

 

持ちつ持たれつの関係性が出来ているんですね。続きまして、ユニットの軸としておしゃかわポップ x Garageを挙げられていらっしゃいますが、TEMPLIMEとして活動を始めるにあたり影響を受けた音楽等ありますか?

 

KABOSNIKKI : もともと聴いていた音楽は、Mr.Childrenとかそういうもので、歌モノというか、ちゃんとJ-POPとして成立しているというところは、今でも意識しています。TEMPLIMEとして作る時は、結構tempuraからの影響が多いというか、YUC’eさんとかKOTONOHOUSEさんとか。ちゃんとクラブミュージックなんだけど可愛い要素もあるので、そういう人たちの影響はすごく受けています。

 

tempura : どこまで直接影響があるかは分からないですけど……ユニットでやっていて、かつその人たちの独自の色があって、というところだと……Neko Hackerさんはすごく大きい存在ですね。まだ直接お会いしたことはないんですけど。完全に独自の色を持っていて、それを貫いてやっているところがすごくかっこいいなと思います。さらに、いろんな方向でもやっていこうみたいな広げ方も、一人よりは2人でやっている広さだと思うので、やっぱりすごいなと思います。

 

Neko Hackerのお2人も、分業体制という点では共通していますね。

 

tempura : ちょっと似てるところがあるのかも知れないですね。

 

さて、活動を振り返りますと、今年4月のM3より『alpha e.p.』がリリースされました。特に、本作収録「ネオンライト」発表以降、ネットやDJ現場を中心に大きくTEMPLIME、そして星宮ととさんの名前を知る人が増えたように思います。最早第三のメンバーとも言える星宮さんとの出会いは一体どのようなものだったのでしょうか?

 

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