マツケん(マツケン先生/松澤健)インタビュー

マツケん(マツケン先生/松澤健)インタビュー

マツケん
HP : http://mt-kn.com/
Twitter : https://twitter.com/matsu_k3
YouTube : https://www.youtube.com/user/KM65536
NES BAND HP : http://nesband.com/
ゲーム実機音源楽団 Twitter : https://twitter.com/gamesoundband

マツケん(マツケン先生/松澤健)氏は会社員の傍らでゲーム音楽を中心に演奏する鍵盤奏者、作曲家。ファミコン実機音源を用いたバンド「NES BAND」のリーダー、かつ、元ハドソン楽曲作曲者の国本剛章氏との音楽ユニット「タケちゃん健ちゃん」のメンバーでもある。

彼はYouTubeやニコニコ動画の黎明期から「演奏してみた」カテゴリなどの動画をアップしており、2019年2月現在、動画の合計再生回数は3,000万回を超える。発車メロディ、耳コピ、ゲーム音楽、ネット発信などを通じ、過去にマツケん氏は『マツコの知らない世界』や『タモリ倶楽部』、『行列のできる法律相談所』、『HEY!HEY!HEY!』、『笑っていいとも!増刊号』、『ゲームセンターCX』など、多数のTV・ラジオ番組への出演、ならびに、新聞、雑誌などに取り上げられた実績がある。この他、彼が今までに投稿したYouTube動画やニコニコ動画、TwitterなどのWEB/SNSサービスでのバズも凄まじく、ネット上では彼のことをマツケン先生と呼ぶユーザーも多数存在する。

今回、WEB/SNS上での音楽インフルエンサーとして先駆者に値するマツケん氏に対し、彼の生い立ちから現在に至るまでの経歴、音楽とゲームのルーツ、NES BANDへの想い、オンライン・オフラインをクロスした活動などについて伺うべく、怒涛の1万字超えロングインタビューを実施した。

取材・文 / 宮久保仁貴  編集 / 松江佑太郎


 

まずは、TOPPA!!初登場ですので、マツケん様の生い立ちからの自己紹介をお願いいたします。

 

マツケん : まず、音楽との出会いは4歳の時でした。ある日、親が当時CASIOが出していた小さいキーボードを買ってきてくれたんです。購入理由は、エンジニアだった父親がその仕組みに興味があったかららしいんですけど。それに僕は思った以上にハマって、4~5歳の頃はおもちゃ代わりに毎日のようにいじっていました。そのキーボードが、メロディやコードに合わせて鍵盤上のランプが光ってガイドしてくれるものだったんですよ。そのおかげで、例えば「ドファソを押さえることをCsus4と呼び、こんな音がするんだな」など、基本的なコードはこの頃に覚えました。なので、そのキーボードは僕にとっての最初の音楽の先生でもありますね。

また、幼稚園の頃は歌謡曲などの有名曲を聴いたり弾いたりしていました。日本の音楽だと石原裕次郎と牧村旬子「銀座の恋の物語」、五輪真弓「恋人よ」、ロス・インディオス&シルヴィア「別れても好きな人」、渡哲也「くちなしの花」、鈴木章治とリズム・エース「鈴懸の径」とか。洋楽だとTHE BEATLES「Yesterday」、CARPENTERS「Yesterday Once More」、Erroll Garner「Misty」とか。何故これらの曲かというと、そのCASIOのキーボードにはファミコンのカセットみたいなカートリッジがあって、それを入れ替えるといろんな曲を楽しめるシステムだったんですよ。そのカートリッジの中で特によく使っていた2個に入っていたのが今言ったような昭和歌謡や洋楽の有名曲で、今思うと昭和歌謡が1つのキーワードというか、自分のルーツだなと思うところはあります。それがまさに4~5歳の頃でしたね。

この他、ゲーム的な側面としては、当時はファミコンの『スーパーマリオブラザーズ』をよくやっていた記憶があります。

 

素晴らしい機能が付いていたのですね!その後の音楽体験はどのようなものだったのでしょうか?

 

マツケん : ピアノも一応習っていて、小学校1年生、6歳の時に始めました。そしてちょうどその頃、『ドラゴンクエストⅢ そして伝説へ…』の音楽の良さにハマったんです。それも、当時は父親もゲームをやっていたんですが、ある日、父親がサウンドトラックのCDを買ってきてくれたのがきっかけでした。

そのCDは、1トラック目から10トラック目までがオーケストラバージョンで、11トラック目に29分ぐらいのファミコンのオリジナル音源メドレーが入っているもので、その11トラック目を特に気に入って何度も繰り返して聴いていました。当時からファミコン音源とその3音から成り立つ芸術性が好きでした。

さらに重要だったのが、そのCDにはライナーノーツのようなものとして全曲の楽譜(ファミコンの3音版)が付いていたことで、曲を聴きながら読書のようにその楽譜を目で追うことが好きになり、6~7歳の頃に結構やっていました。その楽しさの背景としては、ファミコンの3音というのは全パートをなんとか耳で追いきれる範囲なのもよかったんだと思います。今思うとそれは読譜の勉強にもなっていたかと思いますね。その楽譜はすごく小さかったので、拡大コピーしたものを何とか頑張ってピアノで弾いたりもしていました。

なので、一応ピアノを習ってはいたんですけど、そっちのレッスンはあまり真面目にやらず、ドラクエの曲をよく弾いていましたね。この他、ゲームとしてはファミコンの『MOTHER』や『スーパーマリオブラザーズ3』、PCエンジンの『カトちゃんケンちゃん』などをやっていました。

その後、小学校中~高学年の頃はスーパーファミコン全盛期で、『ファイナルファンタジーⅣ、Ⅴ』や『スーパーマリオカート』、『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』、『ストリートファイターⅡ』などをやっていました。セガのメガドライブだと初代の『ぷよぷよ』や『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』シリーズも好きでした。ソニックの1と2はDREAMS COME TRUEの中村正人さんが作曲を担当していて、1の曲は当時のUFOキャッチャーで使用されていたのが好きになり、そこから入りました。そんな感じで、小学生の頃に聴いていたのはゲーム音楽がメインでした。

そして、中学生の頃はCDがよく売れた時代で、ちょうど小室哲哉さんの楽曲が大流行した時期でもありました。TBSの『COUNT DOWN TV』をVHSで毎週録画して3~4回見るくらい、J-POPのヒット曲はかなり聴いて。あと、X JAPANがすごく好きで、人生で初めて見に行ったライブは1997年12月31日に東京ドームで行われたX JAPANのTHE LAST LIVEでした。ゲームは中学1年生の時に『MOTHER2』が出て、総合的に好きなゲームを1つ挙げるとしたらこれですね。あとは格ゲーの『バーチャファイター2』もすごく好きで、ゲーセンに週5くらいで通っていた時期もありました。単純にゲームとしての面白さで選ぶと、バーチャ2とスーパーマリオカートが自分の中での2強ですね。

 

ありがとうございます。ちなみに、具体的な進路を決め始めたのはいつぐらいからだったのでしょうか?

 

マツケん : その後、高校でYMOにハマったんですよ。YMOを聴いていて、必然的にシンセサイザーにも興味を持つようになり。電子楽器メーカーを目指したのもYMOの影響でした。

そんなこんなで子供の頃から音楽が好きだったんですけど、私は特に音大とかは出てなくて、大学は工学部の電子情報工学科出身なんです。そこを選んだのはやっぱり電子楽器が好きだったからですね。4~5歳の頃から触れていたわけですからね。楽器に限らず電子機器も好きですし、かつ音楽も好きっていう2つを合わせると、ヤマハ、Roland、KORGなどの電子楽器を作っているメーカーが将来の希望先で、そういう思いは高校3年生くらいの時には漠然と自分の中にあったので、そこに行くために理系を選び、大学、そして大学院まで行きました。ゲームに関しては高校生の時にレトロゲームの魅力にハマり、新しいゲームについては高校生の終わりくらいまではちゃんと追っていたんですけど、その後は一度ゲームからは離れてしまいました。

大学では、大学院の1年から他大のピアノサークルに入ったんです。クラシックの中ではショパンがめちゃくちゃ好きなので、大学時代はショパンを聴くのも弾くのもかなりやっていました。特にショパンコンクールにハマり、当時16万円くらいした過去のショパンコンクールの模様を収めたDVDセットを購入して見まくったりとかもしていました。あと、ハロー!プロジェクトにハマった時期があって(笑)、コンサート会場でバイトしまくったりもしてました。でもつんくさんの楽曲って素晴らしくて、アレンジもとてもよくできていて、今でも楽曲として聴いたりして、良いなと思ったりしています。

 

己の信念の元、進学先を選ばれたのですね!ちなみに、動画サイト上に動画をアップされたのはいつになるのでしょうか?

 

マツケん : 2007年1月ですね。YouTubeに初めて動画を投稿しました。当時はちょうどニコニコ動画も出始めた頃でしたね。スーパーファミコンの『マリオペイント』のピアノ演奏をアップしたのが最初で、初めの頃はゲーム音楽の演奏を主にアップしていました。

 

 

一番初めに大きな拡散を見せたのは、どの動画だったのでしょうか?

 

マツケん : 最初にバズったのは2007年2月、ニコニコ動画にも転載された「JR東日本 駅発車メロディメドレー」でしたね。今では大した数字ではないかもしれないですけど、当時で1週間で10万再生くらいだったかな。当時のニコニコ動画はYouTubeの動画をそのまま引っ張ってくるという荒業でやっていて、その動画も誰かが転載していて、それでバズったんです。

コメントが動画に乗る様子を初めて見た時は新鮮でした。発車メロディメドレーはそれぞれ10秒程度の曲を延々と10分くらい弾いている動画だったんですが、コメントと相性が良かったんですよね。例えば「これは○○駅だ」とか、職人と呼ばれる方々が曲名や使用駅例を1曲ずつ書いたりとか。全盛期は毎分30コメントくらいが次々と書き込まれて、それを見ながら「これ、自分の動画だよな?」と不思議な感覚でした。

また、当時は演奏してみた動画、特に日本人のそれはまだ少なかったんですよ。

ニコニコ動画が独自のサーバーでの運用を開始したのが2007年3月で、その初日にこの動画は改めて自分でアップしたんですけど、「演奏してみた」のカテゴリーで、転載ではなく投稿者=演奏者本人の動画の中ではこの動画は一番古いと思います。当時はまだ演奏してみたというタグも無かったんですけど。

 

 

今でこそ「演奏してみた」というワードは一般的ですが、当時はその言葉すらなかったですよね。その後、マツケん様は社会人として働きながら、音楽活動を続けられたかと思います。

    Comments are closed, but trackbacks and pingbacks are open.