歩く人 / Pedestrian インタビュー

歩く人 / Pedestrian インタビュー

歩く人 / Pedestrian
HP : https://pedest.net/
YouTube : https://www.youtube.com/pedestrianJPN
ニコニコ動画 : https://www.nicovideo.jp/mylist/57139778
SoundCloud : https://soundcloud.com/tri_angl_e
Twitter : https://twitter.com/tri_angl_e
Instagram : https://www.instagram.com/tri_angl_e/

歩く人 / Pedestrianは新潟県出身、東京在住の作曲家・ボカロP。2016年よりニコニコ動画・YouTube等のサイトに音源をアップし始め、現在の「歩く人」名義での活動を開始した。

未来・浮遊感を感じさせるポップ、そして良い意味でアンニュイさも感じさせるノスタルジー。エレクトロニカ・アンビエント、シティポップ等の要素を内包する彼のサウンドからは、確かな暖かみ、そして極上の癒しを感じられる。例えるならば、“癒しのおもちゃ箱”とでも言うべきか。近年は自身の活動に加え、シンガーソングライターましのみ「タイムリー」の編曲や、VTuberアイドルときのそら「ほしのふるにわ」の作詞作曲編曲も手掛けており、クリエイターとしての知名度を着実に上げている。

そんな彼は先日、ギタリスト166との新ユニットTHE LIQUID RAY結成を発表、ユニット初のフルアルバム『Melting Point Vol.1』をリリースした。全編インストかつ生音に拘った本作を一聴すれば、脳裏に風光明媚な情景が浮かび上がるかの如き、至高のチルミュージックが溢れ出てくる。歩く人 / Pedestrian名義とはまた違った一面が垣間見える。共作者である166の確固たる技量もさる事ながら、一音楽家としての歩く人のアレンジ能力・引き出しの多さに驚嘆させられる。

今回、歩く人氏に対し、彼自身の生い立ちから現在に至るまでの略歴、音楽的ルーツ、アーティスト活動を行う上での意識、『Melting Point Vol.1』そしてTHE LIQUID RAYにまつわるあれこれを伺うべく、メールインタビュー形式にて初の単独、かつロングインタビューを実施した。

文 / 歩く人 編集 / 宮久保仁貴


 

-TOPPA!!初登場ですので、まずは歩く人さんの生い立ちをお願いします。

 

歩く人 : 僕の地元は新潟県の山奥で、冬になると家の一階が埋まってしまうような豪雪地帯です。娯楽施設なるものはほとんどなく、家の周りは森か田んぼしかないような所で18歳まで育ちました。家は兼業の米農家で、音楽とは全く接点のない家系です。

 

小学生〜中学生の頃はどのような事をして過ごされていらっしゃいましたか?

 

歩く人 : 幸運な事に、小学生低学年の時には家にパソコンがあったので、それでインターネットの世界を知りました。ただ、その当時音楽などは全く聴いていなくて、フラッシュサイトや掲示板ばかり見ていたと思います。

インターネットの外の話をすると、小学生高学年は学内でロボコンのクラブ活動があり、ロボットがボールから出る赤外線を感知してサッカーをする競技で全国大会に何回か出場しました。この頃から、「ものづくり」に対しての一定の興味はもっていました。

 

なるほど。初めて歩く人さんが音楽に触れたのはどのタイミングだったのでしょうか?

 

歩く人 : その後、中学校に入ると周りの友達と同じように当時のトレンドの邦ロック、それこそBUMP OF CHICKENやRADWIMPS、ELLEGARDEN等を次第に聴くようになりました。それくらいから音楽を聴く習慣があったのですが……当時は、別に自分で音楽をやりたいと思ってはいませんでした。

 

そこから、音楽制作の道に進まれる機会があったかと思います。

 

歩く人 : 音楽的な転機は15歳くらいで。ニコニコ動画、特に生放送を見始めた時ぐらいだったと思います。たまたま生放送で10日P(monaca:factory)さんという方が作曲講座なるものをやっていて。その後10日Pさんのブログで、「無料で手に入るソフトだけで曲を作る」というような題目で記事を書かれていたので、それを参考に作り始めたのが僕の音楽作成の始まりです。

 

 

自分用のPCが欲しいと思ったので、親の会社で廃棄されていたボロボロのノートパソコンを拾ってきて自力で直して使っていました(笑)。それに、10日Pさんのブログで紹介されていた「domino」というMIDIシーケンサーを入れ打ち込んでいました。

初音ミクの存在自体は小学生の頃から知っていましたが、曲作りを始めたことをきっかけにニコニコ動画で様々なVOCALOID楽曲を聞くようになっていきました。中学生が終わる時にはVOCALOID2の初音ミクを購入していたと思います。

 

創作者として良い意味で早熟だったのですね。中学卒業後はどのように過ごされたのでしょうか?

 

歩く人 : 高校に入ると、いろいろな名義で曲を投稿するようになりました。中学校では陸上部に入っていたので土日のほとんどを部活に注いでいたのですが、高校では活動がほとんどない写真部に入ったので、学校が休みの日はほとんどを音楽制作だったりインターネットに費やすようになりました。

 

高校からガッツリ創作活動をスタートされたのですね!

 

歩く人 : また、その頃から次第にインターネットで音楽の友達が出来るようになりました。特にUjico*/Snail’s House雄之助は一番古くにできた友達の二人です。中学高校で音楽作成の話をほとんどする機会がなかった僕にとって、彼らの存在は非常に大きく今でも感謝しています。音楽理論が分かっていない(※厳密には今も分かっていないんですが)僕にとって、これまでの音楽制作は「教師無し学習」に近いものであって。自分の音楽を聴かれて、動画サイトや友達からレスポンスが返ってくるという嬉しさをそこで体験しました。

 

 

自己評価は勿論ですが、レスポンスは更にモチベーションを高めてくれますよね!ちなみに、当時オフラインでの活動はされていらっしゃいましたか?

 

歩く人 : あんまり今の音楽性には関係無いんですが、当時「閃光ライオット」(現 : 未確認ファスティバル)というロックのフェスティバルがあって、拙い弾き語りで応募したりしていました。1次選考が通ってしまって、「東京まで来てください。」と言われたんですが……学校行事が何かと重なってしまい、2次選考に行けなかった記憶があります。

そういった発信を初めてしばらくすると、やはりいい曲を作っている人たちは東京に集まっているなということに気づきました。また同人活動のイベントも基本的には東京で行われるので、自分も次第に東京の方へ行きたいと考え始めました。

 

確かにオンラインでのやり取りは便利になりつつも、なんだかんだで日本での音楽系オフライン活動は東京に勝るもの無し、といった所はあるように思います。歩く人さんが上京を決めるにあたって、大きな引き金は一体どのようなものだったのでしょうか?

 

歩く人 : 僕の家は放任主義なので進学で東京の方に行くことを咎められた事は無かったのですが、家計が決して裕福ではなかったので国公立大学であればどこでもいいという条件でした。なので、高校3年生からはいったん音楽制作を辞めて受験勉強していました。基本的にVOCALOID楽曲を聴きながら勉強していたので、その頃常にランキング上位にいたOrangestarさんやn-buna(ナブナ)さんの曲には非常にお世話になりました。その後、無事受験が終了して18歳で上京しました。

 

 

おめでとうございます!実際上京してからの生活は如何でしたか?

 

歩く人 : 1年生の時は大学の実験や授業などで手一杯になってしまい、ほとんど音楽制作をしていませんでした。ド田舎から東京に来たので、その他の文化にも触れてみたかったというのもあると思います。ただ、ニコニコだったり、YouTubeだったりで音楽は常に聴いていたので、「また作りたいな……!」という想いは頭の片隅にずっとありました。

 

環境の変化はライフスタイルを大きく変化させますよね。そこから、音楽活動を再開されたかと思います。

 

歩く人 : 転機になったのは2年生の夏頃です。次第に大学に慣れてきたり、授業に余裕が出始めたのがその頃で。「また音楽をしたいな~。」と思う回数が増えたのがこの時期でした。当時塾講師のアルバイトをしていたのですが、そこで貯めた10万円ぐらいでデスクトップのパソコンと周辺機器を揃え、また音楽作りはじめました。そこで2016年の9月に初めて、「歩く人」という名義で楽曲を投稿し始めます。

 

 

ここでは初めて「歩く人」を名乗られたのですね!ちなみに、この名前の由来は一体どこから来ているのでしょうか?

    Comments are closed, but trackbacks and pingbacks are open.