株式会社カルチャー・オブ・エイジア Live Entertainment Executive Producer 田中博(たなかひろし) インタビュー

株式会社カルチャー・オブ・エイジア Live Entertainment Executive Producer 田中博(たなかひろし) インタビュー

田中博(たなかひろし)氏所属 株式会社カルチャー・オブ・エイジア
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日本国内有数の歓楽街、渋谷区円山町。

有名クラブやライブハウスなどのカルチャースポットが集まったこの土地で、株式会社カルチャー・オブ・エイジアが運営するclubasia、VUENOS、Glad、LOUNGE NEOの存在を忘れてはならない。ライブハウスとクラブの2面性を持ち、365日昼夜共に数々の名現場を生み出してきた4会場。

今回TOPPA!!編集部は、この4会場を取り仕切る名プロデューサー田中博氏に対し、彼の生い立ちから音楽業界に入るきっかけ、ブッキング業務に対する熱意等、clubasiaを主軸に話を聞いた。

取材・文・写真 / 宮久保 仁貴 編集 / 鹿野 貴大


 

-TOPPA初登ということで、田中様の生い立ち、どのようにこの界に入ったのかを教えてください。

 

田中 : 僕は愛媛県松山市の出身で小さい頃は体育系でスポーツマンでした。そんな中、中学3年生ごろにBOØWYやBUCK-TICKなどの所謂ビートロックと呼ばれるようなバンドに出会って音楽に目覚めました。BOØWYの『CASE OF BOØWY』というライブビデオを見て、「これで生きていきたい、バンドで飯が食えるようになりたい!」と思うようになって、音楽にのめり込んでいきました。

それで高校生の時はバンド活動しながら学校に通い、その後本格的にバンドをやるために大阪の大学に通ったんです。ただ、そこからより本気でバンド活動をやりたくなった時に、ある方から上京を勧められまして、21歳の時に上京した……というのがこの業界に入るきっかけでしたね。

自分の音楽のルーツとしては、やはりBOØWYであったり、X(現在のX JAPAN)などの「ヴィジュアル・ショック」と言われるようなムーブメントを作っていったバンドシーンからの影響が大きいですね。当時はDAIGO(現BREAKARZ Vo)とJZEILというバンドをやっており、今で言うヴィジュアル系と呼ばれるようなシーンでやっていました。

大阪にいたに上京を志すきっかけになった事はどのようなことだったのでしょうか?

 

田中:僕はドラマーだったんですけど、その当時YAMAHAが主催する「ドラマーズキャンプ」という全国からドラマーが100人くらい集まるイベントがありまして、その中に一人で飛び込んだんです。その時に出会った東京で活動しているバンドの方に「バンド活動をやるなら東京だよ!」と言われまして、当時通っていた大学をお休みして上京しましたね。

 

なるほど。ちなみに当のヴィジュアル系のシンというと、かなりつい逸があると思うんですが、どの様なシンだったのでしょうか?

 

田中:そうですね。高校生の頃から雑誌などで見ていてとても憧れていたシーンだったんですけど本当に「THE 体育会系」といった感じで、「誰よりも抜きん出たい、売れたい」という思いを持った人たちが多かったですね。対バンのイベントなんかでも、どのバンドも「自分たちが一番」という感じで負けず嫌いのバンドばかりでしたね。

 

そのバンドマンから音楽業界でくことになるにはどのようなきっかけがありますでしょうか?

 

田中 : JZEILが解散して、DAIGOはソロ活動に、僕はKORNやRAGE AGAINST THE MACHINEなどの影響を受けたミクスチャー、ニューメタルなんかに傾倒していき、そういうラウド系のバンドを少しやっていたんですけど、その時によく出演していたのがclubasiaだったんですね。当時はかなり日本のミクスチャーのシーンも盛り上がっていてRIZEやUZMKやROTTENGRAFFTYなども活動していて、すごく面白い世界だな、と思いました。

 

 

それで、その当時やっていたバンドが解散してバンドマンとしての夢が潰えた時に現場で働きたいなと思ったんです。そこで色々なライブハウスを見てきた中でclubasiaが一番刺激的で面白いハコだなと感じて門を叩きました。自分自身バンド活動で培ったコネクションなどを活かせるのもここだなという思いがありましたね。それが大体2003年の出来事なので、もうclubasiaで働き始めてから10年以上になります。

 

-clubasia筆頭とするカルチャオブエイジアの各ホルは谷の音信する中心地的な役割を果たしていると思うんですが、一言で表すとどのような会というイメジがありますか?

 

田中 : 一番大きい所としてはライブハウスとクラブという二面性があって両方とも確立されてる部分ですね。オールジャンル、メジャーからアンダーグラウンドまで網羅しているエンタメスペースといった感じですね。
僕自身、自分がバンドとして出演してた時もクラブとしての印象が強かったんですが、ライブハウスとしてもまた違った魅力があって、型にはまらないハコだなと思っています。

ブッキング業務をやっている中で苦した事、またやっていて良かったと思う事を教えて下さい。

 

田中 : 僕の中でブッキングは自分が中学校高校の時なんかの多感な時期に別々のバンドの音源を一緒のカセットテープにダビングして、オムニバスのテープを作っているみたいな感覚なんですよね。そんな感覚でライブのブッキングをやっているんですけど、その日その日の自分の中のテーマに近づける為にどんなアーティストが必要なのか、限られたスペースの中でどれを選んで入れるのか、自分の理想にどこまで近づけることができるのか、そういったことを考えるのがとても好きで趣味の延長みたいな感覚でブッキングをやれているのでとても楽しいですね。

その反面、キャパシティの制約がある為、理想とするものとビジネス面とのギャップをどれだけ埋められるか、という部分が強いて言うなら苦労といえるポイントですかね。
自分の理想とする物が形になってアーティストや、お客さんに少しでも良いものと思ってもらえたらブッキング冥利に尽きますね。

 

-clubasia運営している中で、ここは他の会場とうという部分があれば教えてください。

田中:うちの最大の利点、強みはライブハウス文化とクラブ文化が共存している所だと思います。その2つが大きなテーマですね。ラウドミュージックに特化している会場は多くあると思うんですが、そういうハコではできないことを常に提案していきたいですね。 今となっては当たり前なんですがフロアの分かれたところでバンドのライブとDJブースが共存しているようなイベント、例えばもう10数年前ですがUZMKの「ガンギマナイト」というイベントやROOKiEZ is PUNK’Dの「BUMP ON da STYLE」などはうちの特色が良く出たイベントだと思います。

 

 

 

 

日々、clubasiaには々なタイプのアティストが出演していると思うのですが最近聴いた中で良かったアティストを教えてください。

 

田中:最近というか、今更みたいなところもあるんですけど、GARIというバンドが非常に良いですね。今年で結成20周年なんですけど、ロックとダンスミュージックの良いとこ取りといいますか、clubasiaの求めるカラーを体現しているバンドだなと思います。ロックの熱いバイブスとダンスミュージックの高揚感が共存していてカッコいいですね、応援したいバンドです。

 

 

今後の音ンについて思う所を教えてください。

 

田中:僕自身もう20数年近く現場で生きてますんで、面白い物は現場から出てきますし、そうあるべきだというような思いはあります。昨今ネットから飛び出して来てるような人に勢いがあったりすると思うんですが、やはりどの時代でもライブがシーンを作っているので、そこにアンテナを張って、発信していくということに自覚を持ってやっていきたいなとは思っていますね。やはり、そのエネルギーというか現場から出る力、それがないとシーンは作られないと思うし、そこに期待したいですね。

あとはclubasiaはクラブとしての顔もあるんですが、昨今少し人が入りづらいという印象はありますが遊び場を絶やさずに続けていきたいなと思っています。


最後にこれから音楽業界に携わりたいと考えている人にメッセジをおいします!

 

田中:好きなことを仕事にしているという、この上ない喜びがあります。初期衝動がそのままパワーになると思います。共に感動を生み出しませんか?と言いたいですね。

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