水戸ライトハウス 店長 稲葉 茂 インタビュー

水戸ライトハウス 店長 稲葉 茂 インタビュー

稲葉 茂 (読み方 : いなば しげる)
水戸ライトハウス HP : http://mitolighthouse.com/
稲葉 茂 twitter: https://twitter.com/178mito
Blog : https://ameblo.jp/178mito/

 

北関東は茨城、県庁所在地の水戸市。

この地から数多くのアーティストが生まれ育ち、そして県外のバンドが数多く来訪する。その受け皿ともいうべきライブハウスこそが、水戸ライトハウスだ。

来年2019年で設立30周年を迎えるライトハウスだが、このライブハウス、そして水戸の音楽事情を語るには、名物店長稲葉氏の存在を忘れてはならない。彼は十数年ライトハウスの店長を務める傍ら、近年は音楽フェスMITO GROOVIN’の開催や、ラジオ番組”よかっぺらじお”のパーソナリティを務めている。

今回、稲葉氏に対し、彼の生い立ちからライトハウスの店長になったきっかけ、音楽的ルーツ、思考等を紐解くべく、メールインタビューを実施した。

文 / 稲葉 茂  編集 / 宮久保 仁貴  写真 / 鈴木礼奈


 

-TOPPA!!初登場という事で、改めて稲葉様の自己紹介をお願い致します。

 

稲葉 : 茨城県水戸市のライブハウス「水戸ライトハウス」店長の稲葉 茂と申します。筑波山の麓の小さな病院にて産まれ、幼少期は野生的で活発な少年だったかと思います。学生時代は活発に拍車がかかった少々ヤンチャな少年だった様な……かと言って別にヤンキーってワケでも無く、そういうグループとも仲良かったし、当時バンド組んでライブやれば友達の族の単車がライブハウスの前でコール鳴らして応援してくれていたり……茨城っぽいですよね(笑) そもそもそんな時代だったし、総じて楽しい学生時代でしたね。

 

-またまた(笑)。ちなみに、水戸ライトハウスとの出会いはいつの出来事だったのでしょうか?

 

稲葉 : 丁度、私が中学3年の時に水戸ライトハウスは誕生しまして、高校に入ってからはよく店に出入りしてました。私は高校卒業と同時に上京するのですが、ひょんな事から当時の店長に「水戸に戻ってウチで働かないか」と誘われたんです。ただ、私も当時都内で働いていたので「一先ずの手伝いならば……!」という条件付きで話を受けまして。とりあえずで一旦水戸に戻ったのですが……一度でも地元バンドと接触してしまったら抜け出せませんよね。結局そのまま水戸に帰ってきて今に至ります。当時の店長も15年くらい前にどこかに消えてしまいまして(笑)。元々はライブハウスのスタッフなんて興味無かったのに居座り続けるという、意外と典型的なパターンです。

 

-最早ライトハウスの生き字引とも言えますね!そんな稲葉様の音楽的ルーツをお聞かせ願えますでしょうか?

 

稲葉 : ルーツは童謡ですよ(笑)。今でも聴くと落ち着きますもん。メロディーが確立している音楽が好きですね。改めて大人になって童謡聴くとビックリしますよ。曲の構成は複雑なのにメロはズバ抜けてますから。

そして、ロックと出会ったのは学生時代。洋楽邦楽問わず、とにかく色んな音楽聴きました。例えば邦楽だと横道坊主やラフィンノーズも聴いたし、JUN SKY WALKER(S)やエレファントカシマシも、デビューの頃のLUNA SEAも聴いたなぁ。他にもキリ無いくらい色々と聴きましたね。一体お前は何が好きなんだ?って。当時は直感でイイと思って聴く以外、あまり芯は無かったかも(笑)。その分、周りの友達より沢山の音楽を知ってましたけど。

 

-ちなみに、ライトハウスを一言で表すならば、どのようなライブハウスだとお考えですか?

 

稲葉 : どうなんだろう?あまり考えた事無いなあ。田舎の寂れた小屋ですよ(笑)。逆に出てくれているバンドや関係者の皆様、そしてお客さんが感じてくれた事が全てなんじゃ無いかなと思います。

 

-それでは、水戸という土地において、ライブハウスを運営する上で日々感じている事、そして良かった点・苦労した点を教えて下さい。

 

稲葉 : 水戸に限らず地方は同じだと思うのですが、どれだけ有名なバンドが来てくれようと、やっぱり一番は地元バンドなので、地元バンドへのサポートについては日々考えています。どうしたら茨城が水戸がもっと盛り上がるのだろうかと。「地元の音楽シーン」というものは我々が作るものでは無くて、地元バンドとお客さんが作り上げていくものだと思っていますので。我々はそこをどれだけサポート出来るのかって事を考えますね。

苦労は記しませんが、良かった点で言えば、現在進行形で、つくづく人に恵まれているなとは思います。バンドや関係者の方々、そしてお客さん、手前味噌ですが当店のスタッフも。それに尽きるかな。ライブハウスは人ありきですから。どんな苦労があっても人に助けられてここまできましたし。

自分の唯一の自慢は「人との縁」「人の引きの良さ」です。縁はお金では買えませんから。神様に感謝するしか無いですね。

 

-話は変わりますが、2016年に野外フェスMITO GROOVIN’を開催されましたね。こちらの開催のきっかけ、および当日の感触を教えて下さい。

 

 

稲葉 : キッカケは水戸市の有志の方々が何かで町を盛り上げたいという想いと、自分が地元でローカルロックフェスを開催したいと想ったタイミングが一致して「じゃあ皆でやろう!」となったのがキッカケです。

隣町では夏に国内最大規模の某フェスが開催されていますので、コッチはもっとローカルに、純粋に気の通った、そんなフェスをやりたいなと開催に至りました。当日は沢山の地元ロックファンが詰め掛けて下さって、本当に楽しそうに、そして本当の意味での「地元開催」に、地元のお客さんはちょっぴり誇らしげに見えたのが印象的でした。

 

初開催で反省だらけのバタバタ運営でしたが、出演バンドも皆んな協力的に盛り上げてくれて結果は大成功。感謝しか無いですね。

ただ、当初から水戸市内での野外フェス開催は音漏れの問題だけでは無く、町の諸事情で他の都市と比べてハードルがかなり高く、毎年の開催が難しい事は解っていたので未だ以降の開催には至っておりませんが、初開催時に学んだ事が沢山有るので、それを基に又必ずやるという事だけは断言しておきます。

 

-近年は高崎club FLEEZ、宇都宮HEAVEN’S ROCK VJ-2、そしてライトハウスの3ライブハウスでサーキットイベントPLAYGROUNDを開催されていらっしゃいますね。今年2018年も開催されますが、このイベントの開催のきっかけを教えて下さい。

 

 

稲葉 : このイベントの原型は実は15年くらい前からあって、当時はG-FREAK FACTORY(群馬)やCOCK ROACH(水戸)といった全国区で活動していた地元バンドの北関東バトルツアーみたいな感じでやっていました。

そこから彼らも活動休止があったりでイベントも止まってしまっていたのですが、3年前にたまたま各ライブハウスの店長同士で会う機会があって、誰からともなく「(名称変えて)あのイベント復活させませんか?」といった話がありまして。首都圏関東ながら、僻地の「北関東同士」、どことなく独特の劣等感みたいなもんが在るんですよ(笑)。そんな町の人間同士なもんで妙にグルーヴが生まれるんですよね。

都市型の集中的なサーキットイベントも良いけど、三県を跨ぐ様なこんなサーキットイベントは全国でも他に無いでしょう。各県の食べ歩き兼ねてとか最高だし、是非チェックして遊びに来て欲しいです。

 

-稲葉様個人の話になりますが、茨城放送にて、山田将司(THE BACK  HORN/Vo)様と共に“よかっぺらじお”のパーソナリティを務められていらっしゃいますね。こちらの番組のスタートのきっかけを教えて下さい。

 

よかっぺらじお Twitter : https://twitter.com/ibs_yokaradi

 

稲葉 : 将司も茨城出身で昔からよく知っていて、実はラジオの話に行き着く前に、二人で東日本大震災の復興イベントとして年に1回程度ですが「よかっぺBAR」というイベントを開催しておりまして。その流れもあって、今度は定期的に地元で音楽番組でもやって少しでも茨城を盛り上げられたらいいなといった思いがあったんです。そもそも自分は何年も前から茨城で音楽媒体を持ちたくていたので、そこに将司が一緒に乗っかってくれたのは力強いし有難い事ですね。

茨城って媒体少ないんですよ。全国で唯一(コミュニティー以外)FM局も無いし、(NHK以外)TV局も無いし。昔は媒体が無いからライブのプロモーションが出来ないという理由で、特にメジャーバンドはライブに誘っても飛ばされまくっていましたから。そこでまたタイミング良く茨城放送さんが話を下さって番組スタートして今に至るワケです。

今では都心のFM局にも引けを取らないくらいに内容もゲストも充実して地元最大の音楽媒体になっているのでは?と自負してます。かれこれ既に約3年、毎週楽しくやらせて頂いてますよ。

 

-精力的に活動されている稲葉様ですが、今まで活動されてきた中で、一番印象深かった出来事を教えて下さい。

 

稲葉 : やはり東日本大震災の時ですね。約40本の公演キャンセル。さすがに店終わったかも……と。けど、BRAHMANを皮切りに復興支援イベントを開催してくれて心の息を吹き返す事が出来たというか。当時TOSHI-LOWとも話していたんですけど、お互い「(音)止めるなよ!」と。あの状況下、何が正しいとか間違いとかの状況じゃ無かったですから難しい状況ではありましたけど、そこに信念は持っていたつもりです。

そんな状況下だからこそ我々に出来る事は店に音を鳴らして心にパワーを届ける事だと思っていました。以降、全国から沢山のバンドが駆けつけてくれて店も復興していきました。一生忘れる事は無いし、唯々感謝しかないですね。

 

-稲葉様が最近会われた方で感銘を受けた方を教えて下さい。

 

稲葉 : ホントについ最近の話ですが、京都へ行きまして。折角なので10-FEETのTAKUMA(Gt)に電話して夜一緒に酒を呑みましてね。

 

 

10-FEETと言えば京都大作戦を開催し続けて、残念ながら今年は西日本豪雨と重なってしまい中止を余儀なくされてしまいましたよね。呑んだ当日はその中止から一週間後くらいだったんですけど、TAKUMAに「ホントに残念だし大変だよな」と伝えると、即答で「大丈夫!その分も来年取り戻しますから!」と。それよりも自身で即日被災地へ行ってボランティアもやっていたりと。なんというか、強い男だなと。

仮にもし自分が逆の立場だったらどうだっただろうな?と……知ってはいたけど、改めてTAKUMAの人間としての大きさを感じました。そういう男には必然的に感銘受けますよね。

 

-それでは、近年の音楽業界事情について思う所をお教え下さい。

 

稲葉 : 音楽業界の事は正直あまり解りません(笑)。ですが、全体的に何となく「丸くなったな……。」という印象は感じています。良い意味でのロックの”棘”が無いというか。バンドに限らず、今の若い子達は真面目ですよね。良くも悪くも真面目。そしてそれを受け止める大人もそこに寄り気味というか、丸くなったなぁと。正直な話、どこかつまらなくなってきてる気がします。勿論、ロック然としたカッコイイ人達も沢山いますけど。

SNS全盛のこの時代で、ツールとしては素晴らしいモノだと思いますが、一方ではネット上でさも正しい人間形成が生まれている様な錯覚というか。SNSの発信の仕方次第では実際の人間の大体のイメージもバレますし、使い方が問われますよね。極端な事を言えばSNS上で偽りの人物像も作れるわけで。それがもし音楽にも伝染するようになったら怖い事だなと。そういう意味でも、いつの時代だろうが実際に面と向かって人と接しないと本物の関係は生まれないと思います。まぁ、そんなの古い考えだと言われればその通りかも知れないですけど(笑)。ライブハウスに焦点を当てた発言をするならば、音楽にも人にも、より「生」を大切にしていきたいなと思います。

 

-ライトハウスとして、そして稲葉様個人としての今後の目標を教えて下さい。

 

稲葉 : 店としては来年30周年を迎えるので、以降も続ける事が最大の目標かなと。個人としては、そこそこオッサンになってきて、必然的に若手バンドマン達との距離感も離れてゆく一方ですから、更に呑み狂ってやろうかなと(笑)。

当店は自分以外のスタッフがしっかり仕事してくれているので、一人くらいアホなオッサンが居た方がバランス取れるかなあと(苦笑)。あとは、いつどこで何か起こるかも解らない時代なので、日々、後悔の無いように好きな事をやりまくりたいですね。

 

-それでは最後に、TOPPA!!読者へのメッセージをどうぞ。

 

稲葉 : 本記事がキッカケで新しい出会いが生まれたならとても嬉しく思います。

皆様、是非とも茨城へ。そして水戸ライトハウスへお越し下さい!!最後に、こんな私を取り上げて下さった編集長はじめ編集部の皆様、そして今これを見て下さっている読者の皆様に感謝します。

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